今日は母の命日なのです。
母は大正9年9月8日に生まれ、昭和49年の今日、54歳と1ヶ月で生涯を閉じたのです。
えむこはもうとっくに母の年齢を超えてしまったし、母と暮らした年月より別れてからの年月の方がず~と長くなってしまいました。
病気になってからのことを思い出すと、えむこは今でも辛くなるから機会があったらまた書くこととして・・・
(倒れた時のことはこちらで・・・)
http://emukobb.hatenablog.com/entry/2012/10/05/184559
今日は、それ以前のことを書き留めておこうと思うのです。
母は6人兄弟の5番目として生まれ(一番上の姉と一番下の弟は若くして亡くなったそうで、えむこにとっては4人兄弟の末っ子という印象でしたが)、小さい頃に子どものいなかったおじ夫婦の養女になりました。
その後も親兄弟との交流はありましたけれどね・・・
そして、父が戦争から帰って来るのを待って結婚したそうです。
母が養女の一人娘だったので、父の家族は大反対だったそうですが、父が反対を押し切って婿養子に入ってくれたと聞きました。
その後は兄が生まれ、えむこが生まれ、弟が生まれ・・・
えむこが知ってる母の生涯は、病気になってからを除けば、概ね幸せだったのではないかと思っているのです。
どうしてかと言うと、えむこが20代前半の頃「私は幸せだと思っているよ・・・」と母が言ったからなのね。
親は子どもに本心を全て話すことはないとは思うけど・・・
やっぱり幸せだったと思うのです。
それから、母はとっても働き者でね。
まあ、あの時代の人はみんなそうだったのかもしれないけど・・・
家事に育児に仕事に・・・と、毎日忙しい生活を送っていたのです。
実家は家内工業で製本の仕事をしてました。だから、家事をしている以外はいつも仕事場にいたような気がします。
えむこは母が大好きでね。
子どもの頃から母の後ばかり追っかけていたのです。
仕事場にいる時は、えむこも仕事場で母の傍にいる・・・
買い物に行く時はいつもついて行く・・・(行ってあげればいいのにね)
台所仕事の時には手伝うわけでもなく、傍でおしゃべりをして・・・
(作ってあげればいいのにね)
そして、良く好きなものを作ってくれました。
魚の煮つけ(鯖に鯵に太刀魚・・・)に肉じゃがに・・・
特に好きだったのはお祝い事の度に作ってくれたお寿司でした。
手芸が好きで、少し時間があれば何か作っていましたね。
モヘアで編んだモチーフのショールだけは今でも手元に残っているのですよ。
それと、えむこが看護学校1年生の時(1年間だけ寮生活していた時)に「友人とスケートに行くんだけど、帽子がないの・・・」って電話で話したら、1日で帽子を編んで送ってくれたのです。
一緒にスケートに行く友人は看護学校入学前にお母さんを亡くしたばかりでね、えむこの帽子を見て、すごく羨ましがったの。
それでまた、電話でその話をしたら、友人の帽子も1日で編んで送ってくれたのです。
その時、友人もすごく喜んでくれたけど、えむこも嬉しかったな~。
まだまだ嬉しかった思い出はいっぱいで、書ききれません。
えむこは月・木しか自由にならないから、そんな思いを胸いっぱいにしまい、
昨日、美容院の帰りにお墓参りに行ってきました。
雨の中、お花を上げて、お線香を焚いて・・・
「母さん、いつも見守ってくれてありがとう。えむこはまだまだこっちの世界で頑張るから、これからも見守っていてね・・・」なんてね。
心の中で呟きながら手を合わせてきたのです。
母さんが編んだショール、今まで大事にしまい込んでたけど、今年は出して使おうかな~
そして、我家の今日の夕食は鯖の煮付けと肉じゃが+αでした。