えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

始まりがあれば終わりがくる

まだ両親が元気だった頃、家内工業を営んでいた両親はいつもラジオを聞きながら仕事をしていた。

ラジオはテレビと違い、いちいち選局することはなく、いつも同じ局の番組を聞いていた。最新の機種はどうか知らないけれど、ラジオの選局って周波数を合わせるのがかなり面倒だったからだろうか。

それで、何事もなければ大体CBCラジオがかかっていたような気がする。だから、私は子どもの頃から仕事場に入り浸り、両親と一緒にCBCラジオを聞いていた。

その中で好きだった番組が「小沢昭一の小沢昭一的こころ」と「永六輔の誰かとどこかで」だった。

小沢昭一的こころ」は小沢昭一さんが亡くなられ、昨年末で終了した。そして、今日は永六輔さんの「誰かとどこかで」がお終いになった。お終いになったと書いたのは、永さんが「最後というのは強くていい言葉ではない。だから、お終いになりましたと言います」と言われたから。

永さんのこの番組が好きだということは以前にも書いたことがある。この番組は始まってからもう46年が過ぎ、最終回の今日は12629回目だったそうだ。私はそのうち何回聞いたのだろう。

最近はパーキンソンを患い、聞き取りにくいこともあった。だけど、相方の遠藤泰子さんが上手に通訳をされ、私たちを楽しませてくれていた。

永さんの何かをネットで調べていた時、どこかの質問箱に「永さんが言っていることが聞き取れない。誰かやめるように言う人はいないのか」みたいなことが書いてあったのを読んだ。そして、そのベストアンサーには「あの番組は楽しみにしている人(年配の人だったかも)がたくさんいます。そんなことを言ってはいけません」とあった。

質問箱を読んだ時には「なにを言うか!!」と思ったけれど、ベストアンサーを読んだ時には「よくぞ言ってくれた。その通りだ!」と思った。

森光子さんが85歳を過ぎて、なお放浪記を演じていた頃、Yちゃんが舞台を観に行き「何だか気の毒で観ていられなかった。記録より、誰かやめるように言う人はいないのかしら?」と言ったことがある。その時は私もそう思った。例え舞台といえど、80歳を過ぎて20代の役を演じるのは無理があるだろうと。それで、お金を頂いて舞台を演じるのだからと。

だけど、永さんの場合は違うと思う。リスナーのハガキに対して時評を交えてコメントする。そして、旅の話。人との話、病気の話、嬉しかったこと、腹が立つこと、等など、永さん自身の経験からくる考えを、自分の言葉で話しているのだから。

最近の永さんのおしゃべりはかなり聞きやすくなったと思う。だけど、残念ながら今日でお終いになってしまった。

始まりがあれば、必ず終わりがあることは分かっている。人だって出会いがあれば別れは来る。いるのが当たり前だった両親とだって別れは来た。

だけど、今日はすごく寂しい。

毎日必ず聞いていたわけではないけれど、当たり前のように毎日放送されていた好きな番組が終わってしまうから。スイッチを入れれば聞けたものが、もう聞けないのだから。

あの番組を聞いていると、永さんと泰子さんの話だけではなく、子どもの頃の両親の姿も浮かんでくる。手と目は仕事に集中していても、耳はラジオに向けられ、黙々と仕事をしていた両親の姿。

「誰かとどこかで」は年に何回かは特集をするらしい。それに、世の中で怒る窓口がなくなりそうだから「メールボックス」を作っておくと言っていた。だけど、多分聞く機会はなくなるだろう。

あまちゃんも明日で終わる。だけど、あまちゃんにはまだまだ未来がある感じがする。

思い出まではなくならないと思うけれど、それでも思い出もろとも消えてなくなりそうな気がして、全然違う次元で寂しさを味わっている。