子どもの頃、よく言葉に前に「ど」をつけてしゃべっていた。いや、今でも時々は言っている。
例えば、ど高い、ど安い、どぎたない(ど汚い)、どぎれい(ど綺麗)、どかっこいい、どいやらしい、ど変、ど貧乏、ど感じ悪い、ど意地が悪い、ど恥、どげち(どケチ)、(根性が)ど悪い等など・・・
まだまだ出てきそうだけれど「とても」とか「ものすごく」とか「たいへん」という意味で「ど」をつけて使っていたのだ。
小学生の頃、学校で「『ど』は汚い言葉だから使わないようにしましょう」という運動みたいなものを何回か行ったことがある。
一回の期間は1週間ぐらいだったと思うけれど、お互いに指摘し合い、何回言ったかを数えていた。そして、何か掃除のような罰則があったような気がする。
だけど、一向に良くはならず、その期間が終わればまた同じように「ど」を使っていた。
23歳頃だったと思うけれど、私は看護師を辞め、事務員として働いていた時期がある。
その頃、「おやじが・・・」とか「めし食いたい」とか、当時は男性しか言わないような言い方をわざとのようにしていたことがある。
それを聞いた2、3歳年上だった先輩の女性から「女の子はそんな言葉づかいはしない方がいいわよ」とたしなめられた。先輩は言葉づかいがきれいで、とても静かなしっかりした女性だった。
だけど、当時の私は女だから、男だからと言ういい方が大嫌いで、そんな言い方に反発していた。だから、わざとそんな言葉を使うことで恰好をつけ、男っぽさをアピールしていたのかもしれない。そんなことをしても、決して格好のいいものではなく、むしろ品がなくとても格好が悪いことだとも思わずに。まだ考え方が子どもで、幼稚だったのだろう。
しばらく前、欲しい本があってブックオフに立ち寄った。
結局欲しい本はなかったのだけれど、100円コーナーを物色していると、面白そうな本を見つけた。それは、佐野洋子さんの「神も仏もありませぬ」という本。
まずはタイトルと装丁、挿画に誘われた。
さすが佐野洋子さんの挿画だと、私はそれだけでその本が気に入ってしまった。
そして、古本屋さんには珍しく帯まで付いていた。
その帯には「そして、私は不機嫌なまま六十五歳になった。」と書いてあるではないか。そんな言葉を読むと、すぐに読んでみたくなり買ってきたのだ。
エッセイだから軽く読めるし、面白いには面白かったのだけれど・・・
だけど、会話文の中ではないところに「昼食を食った。うめーの」とか「・・・誰も食いたいと言わなかった」、食った、食った、食った・・・と。
そして、ジジイ、ババアも何回も。
その方が面白いのかもしれないと思いながらも、昔の自分を思い出してしまった。そして「食べた」とか「おじいさん、あばあさん」ではだめなのだろうかと思ってしまった。
小林秀雄賞を受賞した作品でもあるし、私ごときが言うことではないのだけれど・・・