世田谷文学館で「茨木のり子展」を開催中だと今日の天声人語で知った。行けるわけがないと分かっているけれど、行きたい気持ちが湧きあがってきた。で、世田谷文学館のホームページを眺めていた。すると、昨日・今日は沢知恵さんの記念コンサートもあったようだ。もちろん申し込みが必要だったようだが。私はこういう時、いつも「東京はいいな・・・」と思う。東京に住んでいても行けるとは限らないのに。
沢知恵さんは茨木のり子さんの詩を歌にしている。私はCDを持ってはいないけれど、Uチューブで何度か聞いたことがある。沢さんのとても澄んだきれいな歌声で聞く茨木のり子さんの詩はまた違う角度から心に響いてくるような気がするのだ。
茨木のり子さんは、かなり前にやはり天声人語で「倚りかからず」という詩集を紹介されたことがある。亡くなられた後にも、生前に書き置かれたという「死亡通知」のことが載っていた。私はそのどちらの記事にもものすごく衝撃を受けた。それ以来、茨木のり子さんの詩を読むようになり、最近では自分自身の生き方を考える時、最期の時を考える時には必ずというぐらい思い出されるのだ。
天声人語では、筆者が「茨木のり子展」を訪れ、いくつかの詩を読んだ時の思いが書かれていた。
・・・いくつかの詩を読むと、男というものの手前勝手にふと思いが及ぶ。およそ戦争も紛争も、大人の男が始め、大義だの正義だのを振りかざし、大勢の女性や子どもを巻き込んでいく。
〈退屈きわまりないのが 平和 / 単調な単調なあけくれが 平和 / 生き方をそれぞれ工夫しなければならないのが 平和 / 男がなよなよとしてくるのが 平和 / 女が溌剌としてくるのが 平和・・・・・・〉ともすれば淀みそうになる平和を、フレッシュに持ち続けてゆくのは難しいと、この詩は続く。・・・・・・やがて退屈に倦み、なよなよした男に苛立つ人が現れて、どこからか勇ましい声が響き出す。中東でもアフリカでも、眺めまわせば地球のあちこちで男が武器をもてあそぶ。米英仏中ロの大国も、戦争を仕掛けたり首を突っ込んだりしてきた。そうした中で日本の戦後を振り返ってみる。殺しも殺されもしなかった不戦の歳月を、誇りとしない政治があるとしたら不思議である。
引用してある詩は「それを選んだ」という詩だ。
「倚りかからず」も好きだ。「私が一番きれいだったとき」も「自分の感受性ぐらい」もいい。「 友人」も、「汲む」も・・・
どれも心に響いてくる詩だけれど、ここに引用してある「それを選んだ」という詩には平和な社会を守るという決意さえも感じられる。
東京には行くことはできないけれど、今日は茨木のり子さんの詩を読み返し、Uチューブで沢知恵さんの歌を聴き、自分の人生だけでなく平和についても考えていた。