今年も3月11日がやってきた。
あれから4年。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
あの日のことだけではなく、あの頃のことも一緒に。
あの日から - えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~
5日ほど前から、重松清の「その日のまえに」を読んでいた。
ラジオドラマになったことも、映画になったことも、テレビドラマになったことも、死をテーマにした連作短編小説だということも知らずに、古本屋さんで手にして、税込108円で買ったのだ。
それを今日読み終えた。
これはいのちがなくなる「その日」のまえとあとの物語。
いのちの終わりは誰にでもおとずれる。そして、それがいつなのか誰にもわからない。この世に神様がいるとは思っていないけれど、もしもいるとしても、願い事を叶えてくれるわけではなく、それどころか大事な人を容赦なく連れて行ってしまうのだ。
小説のように末期がんならば、いいとは言わないけれど、逝く人も残された人も心の準備ができる。もちろん「何故・・・」と、思い続けたり、悔しかったり、悲しかったり、寂しかったりする気持ちは、いつまでも拭い去ることはできないだろうけれど。
震災の時のように、一瞬で連れて行かれた人たちや、その残されたご家族の方々の思いは、きっと私の想像を遥かに超えたものだろう。その悲しみや寂しさ、今後の不安や、どこにもぶつけられない悔しさは・・・
小説では「ひとが死んでしまうことの意味」にふれている。
文中の会話
「その日」を見つめて最後の日々を過ごすひとは、実は幸せなのかもしれない、って。自分の生きてきた意味や、死んでいく意味について、ちゃんと考えることができますよね。あとにのこされるひとのほうも、そうじゃないですか?」
「でも、どんなに考えても答えは出ないんですけどね」
・・・・・・
「考えることが答えなんだと、わたしはおもっています。死んでいくひとにとっても、あとにのこされる人にとっても」
自分自身や自分の愛するひとの生きてきた意味と死んでいく意味。
そんなものは誰にもわからないし、考えたってわかるわけがない。
でも、考えたいし、思いたい。
人が生きていたことを。そして、どんな思いで生きていたかを。
自分が生きている間、ずっと考え続けていきたいと思う。