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えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

お磨き会に参加して

この間の木曜日、お寺の「お磨き会」に参加した。

「お磨き会」というのは住職の呼びかけに応え、自主的に仏具のお磨きをお手伝いする会のことだ。

我家の檀那寺は真宗。真宗ではお盆といっても特別な祭壇を用意したり、迎え火や送り火を焚いたりはしない。普段と変わらずお仏壇に手を合わせ、お寺へお参りに行くだけだ。それと、お盆を迎えるにあたり、仏具をピカピカに磨いている。

 

住職が初めての試みとして皆に呼びかけたのが昨年12月のことで、今回が2回目だ。それまでは住職が5~6日かけて大概お一人で磨いていらしたそうだ。それが大変だから皆に呼びかけたわけではなく、住職にはお考えがあってのことだった。

 

お寺の檀家はいくつかの組に分かれ(他県や遠方の檀家は除き)、それぞれの組には年番と婦人会の役員がいる。年番は1年、婦人会の任期は2年で、そのお役は回り番だ。そのほかにいくつかの組から世話方が1人づつ。世話方は男性のお役で、任期は確か4年。こちらも順番みたいなものだ。そして、年に1度ぐらいだけれど、組ごとの順番で草取りもしている。

 

住職はお磨き会を介して二つのことを計ったのだそうだ。(昨年12月の住職のブログより。言葉を少し変えての抜粋)

ひとつは参加者に「お寺を支えるメンバーのひとりである」という意識を感じて欲しいこと。ふたつめは「お寺はみんなのものである」と感じて欲しいこと。

お磨きに参加した人は報恩講の時やお盆にお参りに行った時、これまでとは違う思いでお参りされるのではないか。「あの、花瓶は私が磨いたものだ」 「あの輪灯の傘は重かったなあ」と、ぐっと身近なものとして眺めてもらえるだろうと思う。

そして、これまで順番性でやりくりしてきた様々な役目をこれからは個々の思いに即した希望者参加型にしていきたいと思っている。それに踏み切るにはなかなかその一歩が踏み出せなかったけれど、こうして大成功のうちにその記念すべき大きな一歩が始まった。

 

夫が倒れる前は順番で年番も婦人会の役員も何度か携わった。草取りにも必ず参加してきた。かといって、決して信心深いわけではないし、心底真宗に傾倒しているわけでもない。ただ先祖代々からの宗教だからもっと知りたいとは思っているけれど。

 

夫が倒れ不自由になった今、年番も婦人会のお役も、もちろん世話方も受けることができない。この間は草取りにも参加することができなかった。

そうだからといって、誰も何も言わない。それどころか、私が何を言わなくても「無理しなくてもいいからね」と言ってくれたり、「婦人会は飛ばしておくね」と言ってくれた。本当に申し訳ないやら、ありがたいやらで、私は皆さんにものすごく感謝している。だけど、できないということは正直気兼ねなのだ。

 

1回目のお磨き会は日曜日だったので参加できなかった。でも今回はたまたま夫がデイケアに行く木曜日だった。時間も14時から15時ぐらい。ということで、私でも参加できる日時だった。「こんな時にはお手伝いさせていただかないと申し訳ない」そう思い、呼びかけ後すぐに名告を上げた。

 

参加者は16名。住職と御庫裏さんを入れて18名。(内、男性は4名+住職)

皆さんがどんな思いで参加されたのかは分からないけれど、ほかのことができない私はせめてもの思い。だから本当に自己満足のための参加だった。

それでも本堂に座り、無心でしこしこと仏具を磨いていたら、何だか不思議と心が落ち着いてきた。そして清らかな気持ちになれたような気がした。以前から神社仏閣の雰囲気は好きだったけれど、こんな気持ちになれるなんて本当に参加してよかったと思う。

 

私は知らない方ばかりだったけれど、皆さんはみんなが知り合いみたいで、仲良くおしゃべりに興じながら作業をしていた。

それぞれの思いは違っても、きっと住職が意図したような結果になったのだと思う。

 

次回は12月。日時が合えばまた参加しようと思っている。そんな気持ちになれたお磨き会だった。