えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

資源回収の日

今日は町内会の資源回収の日だった。

我家の辺りの資源回収は、町内会と、校区の小学校、中学校の3か所で、別々の日に行われる。

 

小学校の資源回収は朝8時までに玄関先に出しておけばPTA の委員さんが集めに来る。

中学校は授業の一環として行われるのか、生徒と教員が午後1時頃から集めに来る。

町内会では以前は8時までに決められた公園まで各家庭で持って行くことになっていた。持っていけない人は組長さん宅まで持って行けば組長さんが公園まで持って行ってくれる。そして、組長さんたちは交代でお手伝いに出ていた。しかし、何年か前から町内の青年会の方たちの協力により各家庭まで取りに来てくれるようになった。

 

資源回収にはなるべく協力したいと思っている。

だけど、小学校のように役員さんの仕事だと思うと、たくさん出したいと思っても負担が大きくならないように、乗用車で運びやすそうな新聞や雑誌を少しだけにしていた。

その点、中学生たちは授業の一環ならば持ちやすいように縛っておけば、大きな段ボールでも、量が多くても大丈夫。時間も午後からなのでゆっくりと準備できるし、ありったけ出していた。

町内会の場合は、ちょっと離れた公園まで持って行くのは夫のこともあるし、組長さんにお願いするのも憚られ、以前は出せなかった。(夫が倒れる前は持っていた)

でも今は、家の前に出しておけば、青年会の方たちがトラックで集めに来てくれるようになったので一番出しやすくなった。ただ夜のうちに出せないので、夫のことと重ならないように朝早くに準備する必要はあるけれど。

 

今朝は雨がパラパラしていた。資源を物置から出そうかどうかと迷っていると、外を通る車のマイクから「今日は資源回収を行います」と聞こえてきた。

私が少しばかり出したところで大した額にはならない。だけど、組長を免除してもらった今はそんなことぐらいでも町内のことには協力したいと思う。あとは、お祭りの寄付や子ども神輿のおひねり、正月の獅子舞の志しぐらいしかできないのだから。

それで、新聞や雑誌、段ボール、雑紙、をたっぷりと玄関先に出しておいた。

 

今日は資源回収には協力できたし、我家の物置もすっきりしたし、良かった、良かった。

アケビ

月曜日のこと。

夫がデイケアに出かけた後、1時間半ぐらい庭仕事をした。もう少しやっておきたいと思ったけれど、ちょっと疲れてきたので続きは夕方やることにして買い物に出た。

 

買い物の前にコーヒーが飲みたくて、たまに行く喫茶店へ寄り道をした。

そこは4人掛けのテーブルが4つとカウンターに5人ぐらい座れるだけの小さな喫茶店。客は私を入れて常連のお一人さまばかり4人。私がいる間にあと2人来て6人だけ。

 

茶店のドアを開けると、入り口付近の飾り棚に大きなアケビの実が籠に入れて飾ってあった。それを見ただけで何だか嬉しくなってしまうという単純なわたし。

 

ママが、お向かいさんの庭で採れたアケビをいただいたと教えてくれ、 知らないお客同士でアケビの思い出話しが始まった。そして、ママが帰りがけに「一ついかがですか?」と私に下さった。

ママは夫のことも、絵が好きで絵手紙を描いていたことも、昔はこういったものを見ると絵心がそそられて描きたくなることも知っている。それで下さったのだ。 

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こんな大きな実は初めて見た。普通はこの半分ぐらいか、大きくても3分の2ぐらいの大きさだ。

 

夫がデイケアから帰宅すると、すぐに見せた。そして「絵を描かない?」と言ってみたけど、残念ながら首を横に振った。

 

まだ元気だった頃に描いた絵手紙。

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「いろいろなあけび」と書いてあるのは、以前にアップしたこんな絵など等、たくさん描いたから。

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いただいたアケビはまだ机の上に飾ってある。

描いてほしいけれど、描かないかな。気乗りしないと描けないのは分かっているから諦めるとするか。

自分のごみは自分で持ち帰りましょう

秋晴れの今日は町内会(全市をあげて)の530運動の日だった。

開始時間が8時なので、いつものことだけれど、夫の状況で参加できないことを想定し、先週は私の530週間だった。

 

家の前の道路の掃除と草取り、側溝の掃除をしておくだけなのだけれど、今の時期は公園の落ち葉が道路だけでなく側溝の中にもいっぱい溜まっている。それを掃き、ビニール袋に入れていると腰に負担がかかり、私には結構重労働だ。この間の秋祭りの後、雨続きだったので爆竹の残骸も道路にへばりついていて掃いても掃いても取れやしない。でも、落ち葉と草は許せる。爆竹の残骸も許容範囲内だ。だけど、たばこの吸い殻と飲み物の缶やペットボトル、それとお菓子の空き袋は許しがたい。我家が公園の前なのでこうしたごみに悩まされるのかもしれないけれど。

 

530運動のことは何度も書いているけれど、はじめは「自分のごみは自分で持ち帰りましょう」ということから始まった。しかし、今では市をあげての清掃日となっている。

それはまあ、良いことだと思っている。でも、我家の辺りを見る限り、各々の家の前は皆さん日常的にきれいにしてみえる。だから町内をあげて日時を決めて清掃する必要性を感じない。それより原点である「自分のごみは自分で持ち帰りましょう」ということが徹底されればたばこの吸い殻も飲み物の容器やお菓子の袋などが道路や側溝に落ちているなんていうことはなくなる。そうすれば町中がきれいになるはずだ。でも、ニュースで渋谷のハロウィンの状況を見ていると、自分のごみを自分で持ち帰るという行為は難しいことなのだと思ってしまう。

 

因みに、10年ぐらい前までは530運動の日には殆どの家庭が参加していた。そして、ご近所といっても滅多に顔を合わせることがないので、その時に親交を深めていた。それが徐々に参加者が減り、最近では半数ぐらいの家庭になり、しかも参加者は固定されてきた。それはそれで事情も考え方もあることだから構わない。だけど、今日は隣組の2軒の人と、組長さんしか顔を合せなかった。こんなことはこの地に暮らして40年、初めてのことだった。たぶん、だれも参加しなかったわけではなく、それぞれの家の前を清掃して終了したのだと思う。だけど、組長さん以外の組の人たちの誰とも会えなかったのはちょっと残念だった。

短歌とツワブキとシジミチョウとわたし

夫は今年に入ってから昼寝をしなくなった。

車いすでうとうとしているのだからベッドで横になれば楽なのにと思う。それに日中ずっと臀部に体圧がかかっているより分散できるし、私も一時楽になれるのにと思う。けれど、寝たくないと意思表示する大人を無理やりベッドに寝かせることはできない。何事も、私の思うようにはいかない。だから、8年経ち、体調が良くなってきたのだろうと思うことにした。

その代わり、夜が早くなった。早い時はもう7時前にはベッドに入る。遅くても7時30分には寝てしまう。

 

夫が寝てしまうと、残した家事と入浴をすればあとは自分の時間だ。日中は洋間で過ごすけれど、夜は和室で過ごす。テレビの前に座り、録画しておいた番組を見ることが多い。

 

この間の火曜日もそんな風に過ごした。

夫が寝ると、残っていた家事を済ませ、風呂を沸かし、風呂が沸くまではPCで遊び、入浴後はテレビの前に陣取り、テレビとブルーレイディスクのスイッチを入れた。

 

PCで遊んだ時間が長かったのでテレビをつけるとクローズアップ現代+の映像が流れていた。短歌が詠まれ、その歌に勇気をもらったとか、励まされたとか・・・、番組では萩原慎一郎さんのことを取り上げていた。

録画番組を見るつもりでテレビをつけたのだけれど、ついついその番組に見入ってしまった。

あとで調べると、 いじめ 非正規 恋・・・

歌に託した人生 ~ある歌集・異例のヒット~ というものだった。

クローズアップ現代+のホームページより

「サラダ記念日」の大ブームから30年、平成の時代をうたった一冊の短歌集がいま大きな話題を集めている。作者は萩原慎一郎さん、去年32歳で自ら命を絶った。学生時代のいじめ、その後の精神的不調そして非正規として働いた人生・・・。過酷な日々とともに夢や恋も歌にした。発行部数は通常の歌集の200倍に達している。自らも感銘を受けたという又吉直樹さんとともに、萩原さんが残そうとしたメッセージに迫る。

 

萩原さんは中高一貫校に入り、そこでいじめが始まり、その苦しい時期に短歌に出会ったそうだ。短歌界での 数々の賞を受賞し、歌人になること、歌集を出すこと、それが萩原さんの年来の夢だった。そして、ご自身から歌集を出したいと申し出があり、タイトルも希望の出版社も決め、あとがきも準備されていたという。しかし、歌集が出版される前に(入稿後の6月)命を絶ってしまったのだ。

 

朝日歌壇賞、NHK全国短歌大会などでも受賞している萩原さんの短歌、私もどんな短歌だったのかははっきりと記憶にないけれど、名前には記憶があったので目にしたことがあると思う。そして、テレビで朗読された短歌に心を奪われ、翌日、美容院からの帰りに本屋さんへ走り購入した。

歌集 滑走路

歌集 滑走路

 

 一気に読み、今また読み返している。

私が心惹かれた短歌のことを書きたいけれど、本の帯に書かれた短歌と俵万智さんのことばを記しておく。

非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている

頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく

消しゴムが丸くなるごと苦労してきっと優しくなってゆくのだ

夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから

われを待つ未来にいることを願ってともすひとりの部屋を

  

ピュアな言葉に思う。短歌は、彼の濾過装置。

自在な表現に思う。短歌は、彼の翼。

真っすぐに心を射抜く短歌が、ここにある。 俵万智

私もその通りだと思う。そして、いじめは残酷で罪深いことだと思う。

 

今週は木曜日に夫の脳外科受診と床屋さんに行き、その後は今日まで家に籠っていた。

この間から庭のあちこちでツワブキが咲き始め ている。 

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草取りもできないものだから姫女苑も大きくなって花が咲いている。

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このままにしておくと増えてしまうと思いながらも花を見ればかわいくて取れずにいる。

外出はできないけれど、南側の庭なら夫の視界に入るから、ツワブキを眺めたり、20分ぐらいは草取りもした。そして、ちょこまか飛び回るシジミチョウにも遊んでもらった。

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明日になれば夫はデイケア。私はこのシジミチョウのようにちょこまかと飛び回る予定でいる。

いくつになっても、何年たっても

今日は母の命日だ。

もう44年も経ってしまった。

今週も来週もいろんな予定が入っていたし、月曜日は雨が降っていたので迷ったけれど、やっぱりお墓参りに行きたくて、小雨になった時を見計らって行ってきた。

 

お墓参りに行ったとはいえ、今日は命日だ。朝から母のことばかりが思い出され、1日中偲んでいた。

いくつになっても母は恋しいし、何年たっても母に会いたいと思う。実生活ではそんなことを思っても口に出すことはないのだけれど。

 

ご近所に95歳と96歳になられる小母さんがいる。

95歳の方は同じ敷地内に娘さん家族が住んでいるけれど、一人暮らし。歩行器を使い、お一人で老人会にも出席しているし、市民館の短歌の倶楽部にも入っている。

96歳の方は独身の次男さんと二人暮らし。この間見かけた時には、まだ杖を使うこともなく、ご自身の足で歩いていた。

母の方が少し年上ではあるけれど、お二人とも母と同年代だ。このお二人を見かけるたびに母が生きていれば・・・と、早くに亡くなった母のことが思い出される。

 

病気になってからの思い出は辛いことばかりだけれど、それまでの思い出は楽しかったこと、嬉しかったこと等など、幸せだったことばかりだ。会いたいし、もうこの年になると「いつでもお迎えに来ていいよ」といいたいところだけれど、今の私は夫を置いてまだあの世へは行くわけにはいかないのだ。だからお墓参りに行くと、お線香をあげながらしばらく心の中で話をして、最後にはいつもそう言って帰ってくる。

 

今日は私の中にずっと母がいたような気がする。やっぱり会いたいなあ。でも、私よりずっと若い母の顔しかわからない。

ツノゴマとピンクッションの贈り物

今週も先週同様、予定がぎっしりだった。

それでも、嬉しいことがいくつもあった。

 

その一つ。

水曜日の午前中は美容院の予約だった。美容院の日は半日はつぶれてしまうけれど、美容師さんとはもう40年近いお付き合いで、一緒に手作り展などにも出掛ける間柄なので、楽しい時間ではある。

 

その美容院でのこと。入口の商品ケースの上にはいつもいろんなものが飾られている。

その中に、この間はこんなものが置いてあった。

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大きな葉っぱにどんぐりが二つ。そして、昆虫のようにも見えるもの。

こういうの好きなのよね。

葉っぱの上にどんぐりなんか置いてあると、「わ~あ 秋だ !!」なんて、何だかそれだけで嬉しくなってくる単純者だから。

いっしょに置いてある黒い生き物のようなものは初めて見るものだった。聞くと、ツノゴマという植物の種、というか種が入っているさやだった。

 

これがその ツノゴマ

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青い丸の中の黄色いの部分が終わった花で、その上の緑のふくらみがさや。それが枯れてオレンジの丸の中のように黒いさやになる。そして、中には小さな種がたくさん入っている。

ネットで検索してみたら緑の時には食べれるようだ。「オクラのように蒸して」と書いてあったけれど・・・

角のところは鋭くて、気をつけないと皮膚に突き刺さってしまうらしい。だけど、初めて見たので夫に見せたくて一ついただいてきた。

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この角が動物の毛に引っかかり、遠くまで種を運んでもらうという。自然てすごい‼

 

そして今日は夫の脳外科受診でデイケアはお休みしたので、自由時間はなし。

でも、友人から、お互いの知り合いでもあるMさんが私にもピンクッションを作ってくれたそうで「時間が取れたら来てね」と電話があった。自由時間はないと言っても、調剤薬局に夫のくすりを 取りに行かなければならない。友人のところはそこからそんなに遠くない。で、夫のトイレを済ませておいて、ついでに友人のところまで足を延ばして貰いに行った。家を出てから帰宅するまで20分ぐらい、ちょっと心配だったけれど、夫は自宅でひとり待っていてくれた。

 

かわいいピンクッション2つ。入れてくれた袋がまたユニークなものだった。

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私が持っている針山は4つある。

一つは小学生の時からのもの。もう一つは腕にゴムでとめられるもので20代の頃に買ったもの。あと二つは子どもたちが小学生の時に授業で使っていたもの。それでも、こんなかわいいピンクッションはすごくうれしい。

一つは刺し子や刺しゅう針用に、もう一つは待ち針用にしようと思う。何だか針仕事が楽しくなりそうだ。

今週は「ふれあい音楽会」と「似顔絵ッセイ展」へ行ってきた

友人は予定がないと気分が沈み、その日をどう過ごそうかと悩むという。

私は予定がぎっしりだと、それが自分がしたいことであっても、楽しいことだと分かっていても、自分のことでなければ尚更のこと、頭の中が予定に占拠され、それだけで疲れてしまう。

 

今週は結果とても楽しかったのだけれど、そんな週だった。

 

水曜日は「ふれあい音楽会」だ。  

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年15回のうち、歌が入るのは数回ぐらいでほとんどは演奏会なのだけれど、今回はその数少ない歌の回だった。

 

ミュージカル ア ラ カルト  ~ミュージカルの世界を華麗にお届けします~

と題し、13年間劇団四季に在団し、「ライオンキング」や「マンマミーア」「李香蘭」「エビータ」「ジーザスクライストスーパースター」などに出演し、「オペラ座の怪人」ではラウル子爵、「夢から覚めた夢」では夢の配達人を演じたという男性ボーカルと、大学の声楽科を卒業後、同じく四季で「ジョン万次郎の夢」や松竹「ザ・オダサク」・・・、ディズニーの15周年コンサート「ザ・イヤー・オブ・ウィッシュ インコンサート」全国ツアー他、ミュージカル、オペラ、様々なジャンルのコンサートに出演したり、映画の挿入歌やCMソングなど等、スタジオワークなども行っている女性ボーカルと、ピアノ奏者のコンサートだった。

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私は四季のことも、ミュージカルのことも、オペラのことも、詳しくないけれど、さすがに声量もあり、すばらしい声だった。男性の声ももちろんだけれど、特に女性はうっとりとするような美しい声だった。そして、美女とハンサムでもあり、いろんな面で楽しませてくれた。

 

木曜日は蒲郡図書館まで「内藤勲の 似顔絵ッセイ展」を見に行った。

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蒲郡までは車で片道約1時間かかる。連日、朝から出かけると疲れてしまうけれど、今週も予定がびっしりで、その日に行かなければ行ける日がなかったのだ。

 

今年は15点の作品に描かれている人物全員が私も知っている人たちだった。

絵はいつものようにやさしい笑顔ばかりなので、見ているだけで私も笑みがこぼれてくるような気がする。エッセイは読んでいると「そうそう、私もそのテレビ見ていた」とか「私もこの間、その本買ったばかり」とか、・・・そうそう、そうそう・・・と頷きながら読んでいた。そして、エッセイの中に書かれている本で読んでないものはメモし、帰宅してからすぐに図書館で予約した。何といわれても、私はこの間の金子さんと内藤さんのファンだから。

 

そして、予定が無事に終了すれば、行く前の疲れは何処へやらで、残るのは感動や温かな気持ち。行って良かった、行けてよかった、という気持ちだけ。

 

昨日、今日は町内の秋祭り。朝早くから家の前の公園だけでなく、町内中で花火の音が鳴り響いている。なので、小鳥さんの声はしない。

でも、チヨウはお構いなしで飛んでくる。これはツマグロヒョウモンでしょうか?

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五色椿の葉っぱに長いこと止まっていたけれど、卵を産んでいたのかしら・・・