えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

弟のこと

今週もいろんなことがあった。

毎日、書こう書こうと思いながら結局は何も書くこともなく、今日に至った。

だけど、忘れないように書いておこうと思う。

 

水曜日は弟の命日だった。で、水曜日にお墓参りに行こうと思ったら、日曜日の時点でその日は雨の予報。ならばと、月曜日に行ってきた。結局は月曜日に晴れの予報に変わったのだけれど。

 

弟は子どもの頃からとてもやさしかった。それでか、私と違い、男性にも女性にも持てたというのだろうか、周りにはいつも友人がいた。そんな、人に恵まれていたように見えた弟だったけれど、自分にも優しい性格が災いしてか、家族には恵まれず、最期は一人で逝ってしまった。

 

弟はそこにはいないのだけれど、お墓参りは実家のお墓。弟のいるところまではいけないので命日前後には両親のいるお墓へ行くことにしている。

決して死後の世界があると思っているわけではないのだけれど、子どものころ甘えん坊だった弟のことだから「あの世で両親に会えただろうか・・・」「会えてるといいな・・・」などと思ってしまうのだ。で、実家のお墓参りに行き、両親と弟のことを話してくる。まあ、弟のことを偲ぶのは私と兄ぐらいしかいないような気がするし。

 

逝った時から毎年思う。一番下が一番先に逝ってしまうなんて反則じゃないのか、寂しいじゃないかと。

市内電車に乗って

木曜日、ガタゴトと市内電車に揺られ、駅前まで行った。

目的は30代から40代の頃、夫とたまに行っていた喫茶店で開催中の水彩画のスケッチ展(回顧展)を見に行くことと、他にもいくつか。

 

茶店がある商店街には駐車場があり、30分までなら無料券がもらえる。駅前にも公共駐車場があり、そこの駐車券も手元にたくさんある。なので、いつもだったら車でサッと出かけるところなのだけれど、この間から電車に乗りたいという思いがむくむくと湧いていた。本当はJR に乗りたいのだけれど、それはムリなのでせめて市内電車で行ったというわけだ。 

 

最寄りの電停まで歩き、そこから駅前まで電車で 約30分。「新幹線なら名古屋まで行ってしまうなあ・・・」と思いながら、見慣れた景色を眺め、それでも贅沢な時を過ごした。

 

駅前から商店街の中を歩き、目的の喫茶店までは5分程度。そこの商店街はもう10年以上も通っていないような気がするけれど、歩いている人もまばらで何だか寂しかった。

 

コーヒーを飲みながら水彩スケッチを楽しみ、自分のことは棚に置き「マスターも年をとったなあ・・・」なんて思う。

 

茶店を後にし、今度は違う商店街へ。こちらはメインの商店街なのにやっぱり人通りは少ない。「ほんと、田舎だなあ・・・」と思いながら都市銀行へ行く。

用足しを済ませ、今度は手芸店を散策。そして、駅ビルへ。欲しいものはあったのだけれど、買いたいと思えるほどではなかったし、大きなものは車ではないのでやめておいた。デパ地下か駅ビルの食料品売り場で夕食用の総菜でも買って帰ろうかと思ったけれど、食べたいものも見つからず「いつものスーパーへ行こう」と早々に帰ることにした。

 

市内電車の本数は多いのですぐに来た。そして、またもやガタゴトと揺られ、見慣れた風景を眺めながら、電車を楽しんだ。

 

片道、約30分。10月までは150円だった運賃は消費税が上がり、180円になった。往復運賃360円とコーヒー代420円。私にとって780円の贅沢だ。だけど、それだけで十分楽しめるのだからなんと幸せなことだろうか。

夫がデイケアに行かない日のこと

夫がデイケアに行かない日は夫が目覚める前と就寝後が私の自由時間だ。

起床は夫がトイレに起きる時間にもよるけれど、6時少し前なら私はそのまま起きる。4時、5時ならもう一度寝る。そして、夫には眠れるだけ寝ていられるように静かに朝の仕事を始める。大体、夫が完全に目覚めるまでに2時間ぐらいある。私が起きる時間によっては30分もないことがあり、そんな時はちょっとがっかり。

 

朝起きると、着替えを済ませ、ごみ出しがある日はごみ出しに行く。燃やすごみの日には玄関回りの掃き掃除をしてから。今日も昨日の雨風で散った庭木の落ち葉を掃いてからごみ出しに行った。

そして、新聞を取り込み、お天気がいい日には離れの窓を開けに行く。次はやかんにいっぱいのお湯を沸かす。夫の身体拭き用と私の蒸しタオル洗顔用、朝食時のお茶用とわたしのコーヒー用。

 コーヒーを淹れ、パソコンを立ち上げ、新聞にざっと目を通し、それからネットサーフィンをする。たまに、お湯を沸かすところまでしかできない日があるけれど、そんな日は本当にがっかりしてしまう。今日は何人かのブログに訪問することができたのでまずまずの始まりだった。

 

夫が目覚めると身体拭きをし、着替えの介助。これは殆どが全介助。

洗濯物を洗濯機に放り込み、朝食の準備。食べて、片付けて、その間に洗濯が終わるので干し、掃除にかかる。火曜日は11時10分までに、金曜日は10時20分の訪問リハビリが始まる前までに終了すればいいので余裕だ。土・日は訪問リハビリがないので掃除機をかけることもないのでもっとゆとりがある。

訪問リハビリが終わればすぐに昼食の準備にかかり、食べて、片付けて、後は夕方4時ごろまでだらだらと過ごす。だらだら過ごさなくても、その間にやれることをやればいいのにと思うけれど、新聞を読み返したり、本を読んだり、録画番組を見たりするそんな時間も貴重なのだ。1、2時間ごとのトイレ介助は必ずあるし、洗濯物を取り込んだり、それを片付けたり、離れの窓を閉めに行くのも4時までにはしているのだから完全にだらだらできるわけではないけれど。

4時過ぎれば今度は夕食の準備。夫が倒れてからの夕食は早く、5時か5時30分には食べ始め、6時までには食べ終えている。元気だった頃とは雲泥の差だ。

夕食の片づけをしながら最近は湯たんぽを準備し、布団乾燥機で夫の寝具を温めておく。

夕食後は夫の洗面介助。歯磨きは先ずは夫自身に磨いてもらい、その後で私が磨き直しをする。そして、タクトブラシ、歯間ブラシ、フロスで磨いて終了。そのあとはテレビの前でだらだらと過ごす。

最近の夫は就寝時間が遅くなった。それでも、時計をちらちらと眺め、8時ごろにはトイレを済ませ、ベッドに入る。そこもほとんど全介助。

夫がベッドの入ればテレビを消し、照明も暗くする。それからあとは私の自由時間になる。

 

今日もこんな風に過ごし、夫は夢の世界に入って行った。

こんな時間から何かができるわけではないけれど、隣の部屋でこたつに潜り込み、一人の時間を十分に楽しんでいる。

キャラメルポーチがやっとできた

毎月、第一水曜日は「簡単リメイク講座」の日だ。2月から始まり、8月はお休みだったので9回目になる。

 

11月の講座はキャラメルポーチだった。2時間では私はもちろん、誰もが完成することができず、家で完成させても良し、12月に続きをやっても良しということになった。だけど、もう作ってしまった人もいると聞くし、12月はペットボトルケースを作ることに決まっている(受講者の一人が希望したそうで)。次回も同じものを作るなんて何だかもったいないような気がするし、遅れ遅れになるのもイヤだ。で、私は家で完成させることにした。

作り方自体は決して難しいものではないけれど、ファスナーをつける箇所がある。ファスナーをつけるのは35年ぶりぐらいになるだろうか。なので、なかなか手が付けられずにいた。だけど、日にちが迫り、かなり焦ってきたので頑張って頑張ってやっとできた。

 

 こんな感じ。

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紬にこげ茶の布を手縫いし、黄緑の刺しゅう糸を縦にコーチングステッチする。そして、小花を縫い付け、中心にビーズをつける。ビーズはそれぞれが好きな色を選んだ。私は焦げ茶色のビーズを選んだのだけれどちょっと大きすぎたので自宅にあったスワロフスキーのピンクに変えた。そこだけしか違わないので私はイニシャルもコーチングステッチしてみた。

 

横はキャラメルを包んだみたいな感じでこんな風。あっ、タグがずれてる。まあいいっか・・・

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裏返すとこんな風にぺっちゃんこになる。

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 キャラメルポーチは大きさを変えれば布団袋やペンケースにも応用できるそうだ。

だけど、私はもう作ることはないと思う。

作り方は難しくはないのだけれど、何だか歪んでいるみたいできれいにできなかったし(寸法は何度も測り、しつけもし、縫ったつもりなのに)、私にとっての用途がなさそうだから。

それでも折角作ったのだからこれは使うつもり。先生は講座の時に必要な糸類を入れていたから私もそんな風に使ってみようと思っている。

クラス会

このタイトルで書こうと思ったのが7月30日のこと。

私は欠席したのだけれど、看護学校のクラス会が大型連休後に開催され、欠席者の近況と、クラス会の様子が写真付きで送られてきたからだ。でも、結局は書かず、下書き保存のままになっていた。

 

それなのに、また書こうと思ったのは、今度は高校の同窓会・クラス会の案内が届いたからだ。

 

はっきり言って、幹事さんには申し訳ないけれど、私は同窓会やクラス会には全く興味がない。というか、行きたいと思ったことがない。今は夫の介護の都合上、土・日や夜の外出はムリだけれど、夫が元気だった頃でも1度も出席したことがない。それは、決して同窓会やクラス会、それに出席する人たちを否定しているわけではなく、私の性格上の問題なのだ。だから人と関わりが持て、楽しめる人たちを素直に羨ましいと思うことがある。

 

私が卒業した看護学校は大学系だったので時代とともに短大に移行し、廃校になった。今はその短大も大学の医学部看護学科に移行し、実習病院が同じというだけの全く別物になった。

しばらくして、卒業生の年齢が高齢化したため同窓会も廃止することになった。私は出席する気も、出席したこともない非協力者なのに、廃止することが決まった時、勝手なもので何だかちょっと寂しい気がしたのを覚えている。同窓会だよりは読んでいたので。

 それでもクラス会は毎年行われている。同級生は南は九州から、北はどこまでだろうか、東京を飛び越えて来ることはないけれど、とにかく全国各地から集まり、散らばっている。なので、クラス会も全国各地、現地集合だけれど、その地域の旅行を兼ねて1泊2日で行われる。

クラス会の案内には日程、行程、宿泊先、食事場所等が詳しく書かれており、どこからの参加でもOKとなっている。例えば、初日の昼食のみとか、夕食のみで帰るとか。宿泊先に合流し、翌日の旅は一緒に回るとか・・・

そして、返信はがきには近況を書く欄が設けてあり、出欠の返信ハガキを出した人には後日、クラス会の様子と皆の近況が送られてくる。近況は幹事さんによって、はがきの近況欄をコピーしたものであったり、全員分をワードで打ち込んでまとめたものであったりして、幹事さんのご苦労がうかがわれる。

 

看護学校の同級生は入学時43名、1名が2年時に退学、1名が病死したので現在は41名だ。同じ目的に向かい、辛い実習を共に頑張り、35名が寮生活だったので(私は1年間だけ寮生活を送り、残りの2年間は自宅から通学した)皆のきずなは深かったような気がする。なので、近況欄があってもすらすらとかけた。私のことだから当たり障りのないことしか書かないのだけれど。

 

今まで、高校の同窓会・クラス会の案内はがきには出欠のみで近況報告を書く欄はなかった。それが今回はそんな欄が設けてあった。

高校時代、特に3年生の時には思い出がない。同じクラスにいた人は数人ぐらいしか思い出せもしない。それは友達がいなかったということ。希望して入学した学校だったのにも関わらず、暗い高校時代を送っていた。そんな私は同級生というだけで、良く知らない人たちに何を書いたらいいのかが分からず、欠席に〇をつけただけで、机の上に置いたままの往復はがきを眺めている。何だっていいじゃないか、空欄にしたまま出してしまおうか、それもどうか、等など考えながら。変なところで真面目なのだから・・・

 

ここまで書いて、1週間近く経ってしまった。

やっと今日、近況欄を埋めることができ投函してきた。悩むほどのことでもないことに1週間近くも悩んでしまった。ホント、バカみたいだ。

かわいいお客さまとお墓参り

今日は父の誕生日だった。もうとっくにこの世にはいないのだけれど、誕生日が来るたびに何だかとっても話したくなってくる。

それで、

先週から、庭の小菊が満開なので今日はそれを持ってお墓参りに行こうと決めていた。

 

夫がデイケアに出かけるとすぐに庭のシバを切り、小菊を切り始めた。

すると、久しぶりのお客さまがやってきた。

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こっち向いて、あっち向いて・・・

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かわいいね。

今度は後ろを向いて・・・

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しばらく、あっちの小菊、こっちの小菊と、行ったり来たり。

次は私のすぐ脇を通り抜け、こんなところにちょこんと乗った。

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またまた、私から1mもないところを飛んで母屋のトイに飛んで行き、

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アンテナにとまり、

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こっちを向いて「さようなら~」

 

小菊を切ってお墓の花に仕立てたらすぐにお墓参りに出かける予定だった。だけど、こんなかわいいお客さまだ。いつもだったら一瞬で飛んで行ってしまうのに、今日は私がいても逃げもせず、だいぶ長い時間我家の庭に滞在して遊んでくれた。私はついでにやるつもりはなかった草取りまでしてしまった。

 

それでも、午前中にはお墓参りもでき、心の中で父ともいっぱい話をしてきた。

そして、最後はいつも「会いたいけれど、まだお迎えには来なくていいからね」と言ってくる。

他人事だとはいえ、これで良かったのだろうか

今朝、入金予定がありATMまで行った。

私が利用しているATMはスーパーに隣接していて、ガラス張りの部屋には2機設置されている。

私が着いた時、一機は使用中でもう1機は開いていた。ドアを開けて部屋の中に入り、入金していると、隣で捜査中の人から何か聞かれたような気がした。見ると、私に話しかけたのではなく、携帯電話で話しながらATM を操作していた。咄嗟に、この人は詐欺に引っかかってるんじゃないかという気がした。

平日の夕方、NHK名古屋放送局の「まるっと」というニュース情報番組をかけている。その番組には「ストップ詐欺」というコーナーがあり、そこで何度も言っている詐欺の状況のように感じたからだ。

で、電話中でもあり、ATMの操作中でもあったけれど、思い切って声をかけてみた。しかし、私の声掛けに気づいたものの、こちらを見ることもなく、迷惑そうな顔をして手で私を遮る動作をした。でも、話の内容が「〇〇を押せばいいんですね。〇〇ですね。ああ、間違った・・・」という風な会話が聞こえてきた。2、3回、声をかけたけれど同じ動作の繰り返しだったので仕方なく、最後は「詐欺じゃないですか?」と言ってみた。けれど、反応は同じで、私の方を見ることもなく、手で制止するだけだった。そして「決定を押せばいいんですか・・・」と言った。もうどうすることもできずに私は入金を済ませ、また「詐欺じゃないかしら」と、私と入れ替わりに入ってきた人にも聞こえるように言いながらATMを後にした。

私の後の人がATMを後にする時、電話をしながら操作していた人はまだ操作中のようでその人のことを見ながら怪訝そうな顔で部屋から出てきた。

 

携帯電話で話しながらATMを操作していた人は私よりもかなり年上に見えた。あの電話が還付金詐欺など、詐欺の電話でなければいいが・・・

 

他人事だとはいえ、これで良かったのだろうか。

電話中であってもそれを遮り、確認した方が良かったのだろうか。

詐欺の電話と決まったわけではないし、もう確認のしようもない。だけど、私の中ではあれは詐欺の電話だと確信している。そう思うと、他人事とは言え、何だか後味がわるくてならない。