えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

甘えと過保護で悪循環

昨日、今日は夫の訪問リハビリだった。

昨日担当の理学療法士Sさんは、夫の関節可動域訓練をしながら「少し硬くなってきたみたいですね」と言った。

 

夫は元来、体が柔らかい人だった。若い頃にはブリッジもバック転もできたぐらいだから。その体が硬くなり、動きが悪くなってきていると言うのだ。

実はこのところ、私もそんな気がしていた。硬いだけでなく、動きが悪い。そして、できることが後退しているような気がしていた。

それが顕著に表れているのが、ベッドに臥床している状態から座位になる時。自力でなかなか起きられない。立位になる時も然り。そして、立位を保つことも、ベッドから車いすに移動する時も、以前よりスムーズにできないような気がする。

 

夫がベッドで臥床するのは、夜寝る時とお昼寝の時。それ以外は車いすに座っている。

そして、ベッドから起きる時はトイレに行きたくなった時。そんな時、思うように起きられない夫を見ると、私はついつい手伝ってしまう。自分でできることは自分でするのが望ましいことは分かっているけれど。

だけど、トイレに行きたくなった夫が思うように起きられないのを見れば、やっぱり手伝ってしまう。以前、自分で起きるのを見守っていた時、間に合わなくて失敗してしまったことがあるから。そして、私はその時の夫の顔が未だに忘れられないでいる。

大人が排泄で失敗するということは、辛くて、悲しくて、ものすごく屈辱であることは私にも分かる。だから、どうしても手が出てしまう。

夫も手伝ってくれと言わんばかりにベッド柵を叩き、訴えるようなそぶりをする。

夫は元気だった頃から、ちょっとでも体調が悪いと、心配で何でも私にやってほしい人だった。だから、今は自分ができないことは私に手伝ってほしいと思っているのがよく分かる。まあ、全く動かない夫の右腕は体重から換算すると、約4Kg。右足は12Kg弱もあるのだから、手伝ってほしいと思うのは当然なのかもしれないが。 

 

今日の訪問リハビリの時、関節可動域訓練が済み、歩行訓練に移行する際、夫はトイレに行きたいと態度で示した。

その際、今日の担当Nさんも夫の移動を全て手伝った。臥床状態から座位になることも、装具の装着も、室内用の靴を履き、車いすに移動することも。

だから、夫はスムーズにトイレに行け、失敗することはなかった。

私ではなくても、やっぱり手伝うことが分かった。やっぱり失敗させるわけにはいかないから。

 

手伝ってほしいと甘える人、手伝ってしまう過保護な人。だけど、我家の場合は、何時だってそんな時ばかり。だから、今はこの悪循環で、だんだん夫はできなくなってしまったのかも知れないと思う。

 

私は夫が退院した時、夫の専属の看護師になると決めた。

看護師の業務は診療の介助と療養上の世話。

診療の介助の部分は、我家に当てはめると、血圧の管理と内服管理だから、今はその部分に関しては完璧だと思っている。

療養上の世話の部分では、夫自身がどうなりたいのか目標を立てて援助すること。あくまで、できない部分の支援であって、できることを援助するものではない。

夫は自分の気持ちを伝えることができない。だけど、私は今の状態から生活レベルを後退させないようにしたいと思っている。

そうすると、できることを手伝ってしまうのはやっぱりまずい。でも、失敗はさせたくない。

 

今日はトイレに行ったので、歩行訓練ができなかった。だから、私が行った。それも大変だったけれど、夫は嫌がることなく私と歩行訓練はするし、私もやってあげられる。

 

夫の甘えたい部分と、私の過保護な部分。生活レベルを後退させないようにするために、どこまで見守り、どこから手を出したらいいのか、真剣に悩んでしまう。