えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

あの義母だったから

私の大事な人たちには9月生まれの人が多い。

私自身もそうだけれど、私の母も、長男の嫁も、甥っ子ばかりの中でたった一人しかいない姪も。そして、夫の母も9月生まれだ。

 

今日は夫の母の誕生日だった。

95歳で亡くなって3年ともうすぐ5か月になる。

 

義母は私が結婚した頃にはもう仕事はしていなかったので、いつも家にいた。人付き合いはとても苦手で、ほとんど外出することはなかった。その代り花が好きで、暇さえあれば庭に出て花の手入れや草取りをしていた。

だから庭には草一本もなく、我家に来た人はまず「きれいな庭ですね」と褒めてくれた。センス良くまとまった庭ということではなく、草花が雑然と植えてあってもとにかく褒められるのだ。

汚いのは目立つけれど、きれいなのは気づかないものだ。それなのに誰からもきれいだと褒められるところを見ると際立ってきれいだったのだと思う。

 

この間、ご近所の方と話す機会があった。

その時にまた義母のことを褒められた。庭のことだけではなく、他のことも。

 

義母は若い頃はずいぶん苦労したそうだ。2歳頃、母親を突然の病気で亡くし、父親が義母を含む4人の子供を男手ひとつで育てた。姉が母親代わりをしてくれたとは言うけれど、義母の下には弟もいたし、農業を営んでいた父は朝早くから暗くなるまで畑仕事をしていたというから、かなり大変だったと思う。

成長してからは東京に奉公に出て、行儀作法はそこで教えられたと聞いた。

結婚してからは舅、姑に仕え、その上、かなりの貧乏生活だったそうだ。

それでも、私は義母から文句や愚痴や人の悪口を聞いたことがない。もちろん私も意地悪なことを言われたり、されたりしたことはない。

余分なことを言わない人だったから、結婚当初は何だか冷たい人みたいな気がしたけれど、10年ぐらいしてからは義母の性格をありがたいと思うようになった。

 

今思い返すと、我ながらいい嫁ではなかったと思う。だから、たぶんだけれど、言いたいことはいっぱいあったと思う。それを何も言わずに私たちがほんとの意味で大人になるまで見守ってくれたのだから、心底ありがたかったと思っている。

悪気がなくても、私たちの生活についてあれこれと言われたら、私のことだからきっと我慢ができなかったと思うから。

 

義母の誕生日だった今日、庭を廻ると義母が植え小菊がたくさんの蕾を付けていた。まだ仏壇には活けられないけれど、花が咲いたら仏壇に活け、お墓にも持って行こうと思っている。

そして今日は「お義母さんだったから、私はこれまでやってこれたんだと思うよ」と、仏壇にお線香をあげながら手を合わせた。