えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

尊厳ある介護ならばいいけれど・・・

昨日、夫の弟がベトナム土産を持ってきてくれた。

夫と二人、弟からひとしきり旅行の話を聞いた後、弟が「ところでえむこさんは兄貴がいる時でも少しは自由な時間はあるの?」と、聞いてきた。

夫の姉弟には、夫に関することは殆ど話してある。だから、月・木はデイケアに行っていること、火・金・土は訪問リハビリをしていることを知っている。それ以外にも、どこに何をしに行ったとか、こんな絵を描いたとか、誰が来てくれたとか、ほとんどのことを話している。

「何を思って聞いたのだろう・・・」と思いながら、デイケアの日とそれ以外の日のことを話した。

デイケアの日に私がしていることは食材の買出し、草取りとか庭仕事などの家のこと、そして、たまに友人と会うことぐらい。デイケアの日以外に私が一人で行動することはまずない。1時間ぐらいなら、どうしてもの用事の時にはお昼寝の時に出かけることはあるけれど。それでも、夫は失語症なので「玄関チャイムが鳴ったら・・・」とか「電話がかかってきたら・・・」と、心配で出かけないようにしていることを。

弟は「それは大変だな・・・」と一言。以前、デイケアの日数のことやショートステイのことも話したことがある。

私自身もショートステイのことを考えないわけではない。何かあった時のことを思うと。だけど、今は私は働いているわけではない。だから、私が頑張ればショートステイを利用しなくても何とかなっている。

厚労省は「高齢者が尊厳を保ちながら暮らし続けることができる社会の実現を目指している」という。そして「高齢者が、介護が必要になっても、住み慣れた地域や住まいで尊厳ある自立した生活を送ることができるよう、質の高い保健医療・福祉サービスの確保、将来にわたって安定した介護保険制度の確立に取り組んでいます」と言っている。

でも「尊厳を保つ」とか「尊厳ある」というのが難しいのだ。実際は・・・

 

義母は夫が倒れたことでやむなくショートステイを利用することになった。それまでデイサービスさえ嫌がっていた義母は自分の置かれた立場を理解し、ショートステイを利用することを受け入れた。

でも、そこでは「尊厳を保つ」とか「尊厳ある」という生活ではなく、義母から聞いた言葉はそれはそれは悲しい現実だった。義母は認知症ではなかったので、その言葉はまさしく現実だったのだと思っている。

義母のことを「おデブちゃん」とか「デブ」と呼び、名前で呼んでもらえなかったこと。ポータブルトイレに移動したいとコールすると「何のためにオムツをしているのか?」と言われ、時間でしかオムツ交換をしてもらえなかったこと、等など・・・

確かに義母は太っていた。でも、やっぱり名前で呼ぶべきだと思う。夜間のトイレ介助は多分、職員の数の問題でしてもらえなかったのだろう。

義母は家では介助でポータブルトイレを使っていた。確かに私でも義母のトイレ介助は大変だった。だけど、尿意があるのでそれが当然だと思っていた。誰だって、尿意があるのにオムツの中に排尿はしたくないにきまっているから。でも、ショートステイではオムツ内に排尿するように言われていたみたい。だから辛かったと思うし、悲しかったと思っている。

その時、まだ仕事を続けていた私も、夫の姉弟たちも、緊急事態で頼んだショートステイだったので、ケアマネに言うこともできず、ただただ母の言葉を悔しい思いで聞くしかなかった。

それで、私はその時の思いが今でもトラウマのように残ってしまった。

「もしも、夫がショートステイに行ったならば・・・」と考えると、義母以上に介助が必要な夫は多分、イヤ絶対にポータブルトイレへの移乗や尿器での介助などやってはもらえないだろうと想像してしまう。例え、尿意を訴えたとしても。それに、夫は失語症なので、義母のように私にさえ訴えることができない。

そう思うと、どうしてもの時が来るまではやっぱりショートステイには行かせられないと思ってしまう。

義母が利用した施設が悪かっただけかもしれないけれど、尊厳ある介護をしてくれるところが見つからない限り、私の自由は今ぐらいあればいいと思ってしまうのだ。

いくら、ショートステイに行けば家族の負担が軽減すると言われても・・・