えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

洗面所の掃除の後は

水曜日のこと。

洗面所の掃除を終えた後、いつものように外出した。

どうしてものことは食料品を買いにスーパーへ行くことだけ。だけど、せっかく自由に動き回れるのだから楽しいこともいくつか。

 

その一つは文化会館で開催中の「市民館総合展」に行くこと。

市内にはいくつもの市民館があり、そこではいろいろな教室や自主サークルがある。市民館で活動しているすべての会が出品しているわけではないけれど、市民館総合展はそこで学んだり教えたりしている方たちの発表の場だ。それでも、書あり、絵画あり、写真あり、トールペイント、リボン刺繍、編み物、ちりめん細工・・・などなど、いろんな作品が展示されている。

私は市民館で活動しているわけでも、親しい人が出品しているわけでもないけれど、このところ毎年見に行っている。「わあ、これステキ・・・」とか「こんなことやってみたい」と思う作品に出会えることも多く、刺激になるし、頑張っている方たちのことを思うと元気がもらえるような気がするからかもしれない。

 

もう一つは美術館で開催中の「市民展」を見に行くこと。

市民展は絵画・彫刻・デザインの部と、写真・書道の部があり、今週は絵画と彫刻とデザインの会だ。

市民展には夫が元気だった頃も倒れてからも、いつも二人で観に行っていた。でも、最近の夫は外出を好まなくなったことをいいことに、今回は誘うのをやめてしまった。ちょっと気が引けたけれど、まあ、たまにはいいかなって。

 

市民展を楽しんだ後は美術館の裏手にある茶室、三の丸会館でお抹茶をいただいた。

その日の客は私ひとり。窓から一級河川の豊川(とよがわ)を見ながらお菓子とお抹茶を楽しみ、心の洗濯をして・・・

実は、市民館総合展を見てからコーヒーもひとり楽しんだのだ。

 

刺激を受け、元気をもらい、これだけ楽しめば、デイケアから帰宅した夫にも当然のことやさしく、やさしく接することができる。

そして、夫が寝てからはちくちくと夢中で刺し子を楽しんだ。

思わぬことから洗面所の大掃除

家事の中で何が一番好きかというと、片付け・・・だった。

だった。というのは今は酷い状態なので好きだと言えなくなってしまった。でも、やっぱり本当は今も片付けが一番好きだ。あ、掃除が好きというわけではなく、好きなのは整理整頓みたいなこと。

 

今朝、夫の歯磨きや髭剃りの介助をしていて、片付けてないシャンプーのボトルを洗濯機の奥に落としてしまった。

 

我家の洗面所は35年ぐらい前に夫が一坪ぐらいの勝手口の半分に板を張り、そこに洗面台を設置(そこだけはプロが)し、洗面台の上の壁には鏡を張り、その下に必要物品を置けるようにラックを取り付けただけのもの。残りの半分は三和土のままで、そこに洗濯機が置いてある。

洗面台と壁の間には少し隙間があり、気をつけていても歯間ブラシや時には歯ブラシを落としてしまう。落としてしまうとちょっとやそっとでは取れない。で、見ないことにしてしまう。実はだいぶ前に女性用の電気カミソリ(眉や産毛を剃る細いやつ)を落とし、取れずにそのままになっている。

洗濯機の奥も然り。

 

シャンプーのボトルはさすがにそのままにはしておけない。でも、覗いても見えない。洗面台にしても洗濯機にしても動かすとなると排水のホースがあって、大事だ。

何とか動かさなくても取れないかと洗面台のまわりを片付け、洗濯機の下に箒を押し込んでみた。すると、シャンプーのボトルが奥に押しやられ、何とか取れそうだった。

 

そこまではいいのだけれど、埃がすごい状態になっていた。ボトルを拾ってから洗面台の裏にも箒を入れて、掃いて、掃いて、掃いて・・・

埃と一緒に歯ブラシや歯間ブラシやフロス、洗濯ばさみも出てきた。それなのに、一番見つけたかった電気カミソリだけは見つからず。

洗濯機の裏も掃いて、掃いて、掃いて・・・

こうなると、もう次いでだ。

洗面台の前のラックも外し、きれいに洗い、洗濯機の上のラックのものまで片付け、大掃除になってしまった。

勝手口のドアも汚れが気になり、ゴシゴシ、ゴシゴシ・・・

もちろん、洗面台も床も鏡も磨き、たった2時間ぐらい掃除をしただけなのに疲れ果ててしまった。

でも、思わぬことから掃除をする羽目になった洗面所や勝手口はさっぱりし、きれいになって嬉しくなった。

 

その後は、いつものように外回りの用事。

あちこちに出かけ、帰宅すると、出かける時には気が付かなかったけれど、大好きな水仙の花が咲いていた。

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これは今日のごほうびだ。

 

そして、モズも「お帰りなさい」でも「お疲れさま」でもないけれど、定位置で鳴いていた。

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三連休が終わり

三連休が終わり、また新しい週が始まった。

 

三連休の間、夫はもちろんのこと、私も洗濯物を干すときと取り込むときに庭に出ただけで、敷地内から一歩も外に出ることもなく過ごした。

誰かが来ることもなく、電話もなく、本当に静かな日々だった。

 

新聞や本を読み、CDを聴き、夫は年賀状の猪の絵を考え、その傍らで私は刺し子を刺し・・・

時間になれば3度の食事の準備。そして食べたら片付け。すごく気になる所以外は掃除もせず、多少のことには目を瞑っての生活だ。

夫が倒れる前も、決してアウトドア派ではなく、どちらかというとインドア派だったけれど、コーヒーを飲みに出たり、ランチに行ったり、散歩に出たりして、家から一歩も出ないということは滅多になかった。まあ、家から一歩も出なくてもどうってことはないのだけれど。

 

三連休が明け、今日は夫はデイケアに出かけた。

最近はお迎えの時間より20分も前に外で待つという。私は送迎車を待つ間、夫の近くで草取りをしたり、庭木を切ったりしている。今日は枯れ始めた小菊を片付けながら待っていた。そして、先ほど嫌がることもなく出かけて行った。

 

今からの私の予定。

1、本屋さんへ行くこと。(24日に発売になった歳時記を買う予定)

2、手芸店に行くこと。(赤の手縫い糸と刺し子布を買う予定)

3、食料品を買いにスーパーへ行くこと。

                               以上。

あとは道中でおいしいコーヒーを飲みたいと思っている。

だけど、行動開始はあと少し家の事を済ませてからにする。すぐに出かけると、糸の切れた凧のようにふらふらしてしまいそうだから。

 

庭仕事の続きをしようか、離れの2階の片づけをしようか、それとも物置の整理をしようか。考えているうちに時間は刻々と過ぎていく。

墓参りと電話と諸々

昨日は父の誕生日だった。

とはいえ、父はもう17年も前に鬼籍の人となっている。

 

庭の小菊はだいぶくたびれてきているけれど、まだお墓のお花を作るぐらいは大丈夫だ。この小菊とシバを合わせてお花を作り、昨日は母の時と同じようにお墓参りに行き、お線香をあげながらひとしきり心の中で話をしてきた。

 

父が連れ合いである母を亡くしたのは56歳の時。今の私の年よりずっと若い。それから25年ほど一人で過ごした。そして、はじめのころは外で遊ぶこともあったけれど、年を重ねるにつれ私と過ごす時間が増えていった。とはいえ、我家と実家は車なら10分とかからない距離なので、泊って行くことはなかった。夫は私の親兄弟をとても大事にしてくれ、父のことも精いっぱいしてあげるようにと言ってくれていた。本当にありがたいことだと感謝しながら、その言葉に甘え、父との時間を最期まで大切に過ごさせてもらった。

 

父には嬉しいことはもちろんのこと、愚痴も聞いてもらった。愚痴と言ってもたわいのないものばかりで、父は黙って聞いた後、何かを言ってくれたのだと思う。覚えていることもあるけど、忘れてしまったこともある。でも、いつでも知らないうちに前向きな気持ちになっていたような気がする。だから、今でも何かあると父に聞いてもらいたいと思うことがある。

 

墓参りを済ませたその足で、本屋さんに行き、一人喫茶で一休み。そして、大型スーパーに寄り、近くの食品スーパーで買い物をして帰宅した。

 

家に戻ったのはもう14時近かった。

11時30分ごろ喫茶店でモーニング(食パン1枚、サラダとゆで卵とコーヒー2杯)を食べたので昼食はいらない。買ってきたものを冷蔵庫に入れたりして片付け、洗濯物を取り込み、たたんでタンスにしまい、おやつを食べて一服すればもう夕食の準備の時間になってしまう。「ふー」と、大きなため息をひとつ吐き、次の行動に移す。デイケアから帰宅した夫がすぐに夕食を食べられるようにと。

 

夫が帰宅し、夕食を食べていると電話が鳴った。

我家は迷惑電話防止のため常に留守電になっている。電話をくれる可能性のある親戚や友人、知人にはそのことを伝えてある。だからメッセージを入れてくれる人には電話に出られる状態であればその途中でも出ている。

 

昨日の電話は6歳の下の孫からだった。今年に入ってから、親から固定電話の使い方を教わったそうで、それから時々、思い出したように電話をしてくれるようになった。用事があるわけではないし、親からはいけないと言われることがあるようだけれど。

だけど、ばあばとしてはすごくうれしい。子どもたちなんて特別な用事でもない限り親に電話をくれること等ないのだから。

 

メッセージの発信音のあと「ばあちゃん。おばあちゃん・・・〇〇ですよ!」と声が聞こえた。昨日はちょっと疲れていたけれど、その声を聞いたら疲れは何処へやら、話しているうちに元気になってきた。ありがたいことだ。

孫は「おじいちゃんの声も聞きたい」というので夫の耳元にも受話器を当てた。夫は「あー」とか「うー」とかしか言えない。孫が「おじいちゃんはなんて言ったの?」と聞いたので「〇〇くんですか?って言ったんだよ。」と答えると、「ばあちゃんはおじいちゃんの言葉が分かるの?」と聞いてきた。「トイレに行きたい」とか「お腹がすいた」とか言うのはわかるよ。というと「さすが、おばあちゃん!」と言う。なんてかわいいのだろう。

他にも彼の愛犬のこと等など、他愛もないことをひとしきりはなし、電話を切った。

これだけのことで、私はすっかり元気になっていた。

こたつ

寒くなってきて、いよいよ夜が辛くなり、こたつを出した。

こたつを出すと片付かなくなるし、動けなくなる。分かってはいるけど、こたつの魅力には勝てない。

 

朝、そんなに早くないのに、午後になると眠くなる。それでもやらなければならないことがあると寝てはいられない。けど、眠くて仕方がないし、座ったら寝てしまいそうだ。

 

夫が寝てしまうまではエアコンの部屋で過ごす。寝てしまうと、一日の片づけを終え、こたつに潜り込む。それは私にとって至福の時だ。録画番組を見たり、本を読んだり、手芸をしたり・・・

でも、ごろっとなったら最後、そのまま寝てしまう。そして、夫のトイレコールで起こされる。

このところ、そんな毎日を過ごしている。早く寝てしまえば良いものを。

そう思っても、こたつに入って落ち着きたいし、一旦入るとダメなんだよね。

うれしいお客さま

しばらく書かないでいると、書くつもりだったことが溜まり、頭の中でまとまりがつかなくなってしまう。

 

手づくり展に行ったこと。花ふきんをいくつも作ったこと。購読していたブログ(八重子おばあちゃんの日記)が雑誌に掲載され、発売日に即購入し、日記について考えたこと。友人が白内障の手術を受け、アッシー君をした時のこと。日曜日のこと。今日のこと・・・。

 

とりあえずは日曜日のことから書くことにする。

 

11月11日(日)

午前中に夫の友人Kさんがきな粉とゴマのお団子と、「美の巨人たち」を録画したDVDを持って来てくれた。

Kさんのことは何度も書いているけど、夫とは小学校の時からの仲良しだ。そして、夫が倒れた日、Kさん宅のリフォームの打ち合わせに出かけていた。その時、異変に気付いたKさんが私に連絡をくれた。でも、迎えに行く前に自分で帰ると車に乗り、運転し始めた直後に意識を消失。しかし、Kさんの機転で危うく大事故にならずに済んだ。リフォームはそのままになってしまったにもかかわらず、Kさんは今でも1、2か月に1度は顔を見せてくれるありがたい友人だ。

いただいたお団子を一緒に食べ、2時間ほどおしゃべりを楽しみ、昼前には帰られた。

 

Kさんがいる時、15年前に夫が設計管理をさせていただき、自宅を建てられたHさんの奥さんから電話が入った。

Hさんから、夫が倒れた翌年も翌々年も年賀状をいただいた。それまでは夫も出していたのだけれど、翌年はまだ入院中、翌々年は年賀状を出す気にはなれず、だれにも出さなかった。でも、そのままにもできず、翌々年に年賀状を下さった方々には事情を書いて非礼を詫びるハガキを出した。

それから、Hさんは奥さんに「会いに行きたい」と言っていたそうだ。でも、行っていいのかどうか分からなくてそのまま日にちが過ぎていった。

 

それが偶然、10月の初めに「金子通世&リメイクバック教室展」を見に行った時、Hさんの奥さんにお会いしたのだ。そして、午後からお二人で、会いに来てくださることになった。

 

約束は1時30分。

お二人の顔が窓から見えると、夫はすごくうれしかったのだと思う。ににこにこ顔でお出迎えした。

Hさんは「自宅を建ててもう15年が経つけれど、何一つトラブルはなく、快適で本当に良かったです。」と言い、夫の手を握ってくれた。その言葉を聞いて、夫は心底喜び、満面の笑みを浮かべた。

 

Hさんは多趣味で、夫が元気だった頃に篆刻の印を彫ってくれた。今は絵手紙も表装もやって見えるそうで夫のために絵手紙用の表具を作ってきてくれた。 

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縦用と横用。表装用の布ではなく、着物地で作られたそうだ。写真が悪いけれど、すごくステキな着物地だ。表具の裏側には篆刻の印が押してある。

ハガキは季節も年もおかしいけれど、とりあえず手持ちのものから合いそうなものを挿してみた。そして、夫には「来年用の猪の絵を描いたらそれを挿そうね。」と、言っておいた。

 

我家の日曜日はいつも夫と二人だけ。寂しいぐらい静かで、刺激もなければ、何の変哲もない生活だ。

この間はお客さまたちのおかげで大いに笑い、明るくて楽しい一日になった。夫もうれしかったに違いないけれど、私もすごく嬉しくて、良い1日となった。

 

そして、もう一つ。

写真は撮れなかったけれど、今年初めてジョウビタキが庭に遊びに来た。こちらも私にとってはうれしいお客さまだった。

今日は庭仕事

昨日は雨が降ったり止んだりのお天気だった。

ひどい降りではなかったけれど、朝起きると地面は濡れていた。

 

今日は夫はデイケアに行く日。地面が濡れていればもう草取りをやるしかない。

と、思ったけれど、実際には草取りは少しだけして、あとは草花の手入れや植木の手入れを1時間半ぐらいした。

 

夫がデイケアの日、少しでも庭仕事ができると何だか気分が落ち着くような気がする。やってもやってもきりがないし、決してきれいになる訳でもないのだけれど、庭にいると鳥の鳴き声や草花に癒されるし、やらなければすぐに見るも無残な姿になり、見ているだけでイライラしてくるから。

 

今日は、小菊が一斉に咲き始めていた。

白い小菊。

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オレンジと紫色の小菊。

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黄色も。

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薄紫の小菊。

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こちらはピンク。

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先月の30日は義父の命日だった。

その時はまだ、この小菊は殆どが固い蕾だった。それでもいくつかは色づき、開花したものもあった。あちこちに植えられている小菊からそんな枝を探し出し、シバの枝と、お墓のお花に仕立てられそうな花を切り、お墓参りに行ってきた。

 

小菊は義母が仏壇に供えるために植えたもの。なので、今日はいろんな色の小菊を切り、仏壇にもお供えした。でも、花は一気に咲いて、終わりも一緒。あと、何回お供えできるだろうか。

 

夕方、今度は草取りをしながら夫の帰宅を待った。

すると、裏のお宅の高い木の上でモズが高鳴きを始めた。すぐにカメラを持ちに行き撮ってみたけど、ボケボケでアップできるような代物ではなく、割と近くだったのに残念だった。

最近はよくモズを見かけるようになった。でも、はやにえは子どもの時以来見たことがない。見たら見たでびっくりしてしまいそうだけれど、怖いもの見たさで、見てみたいような気もしている。