えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

金曜日は夫の歯科受診だった

夫と出かけることが決まっている時、その1週間前から私はいつも週間天気予報に一喜一憂している。

 

この間の金曜日、夫は歯科受診の予約日だった。

その1週間前の金曜日、週間天気予報では水・木は本格的な雨が降るということだったけれど、金曜日は曇りマークだった。

「傘マークでなくて良かった」と思ったのも束の間のことで、翌日には傘マークに変わっていた。それから毎日、天気予報の時間になると傘マークが取れないかと祈るような気持ちで見ていた。しかし、残念ながら傘マークは取れることはなく、それどころか、前日には「大雨が降るかもしれない」と言う予報に変わっていた。

そして当日、予報通り、3時か4時頃には雨の音で目が覚めるほど激しく降り出した。

 

雨が降っても、ただちょっと大変なだけで、受診できないわけではない。今までも台風が直撃した日だけは予約変更をしてもらったけれど、それ以外の雨の日には受診しているのだから。だけど、車いすの夫と雨の日に出かけるのは気が重い。お天気の日に受診するのと比べたらかなり大変なのだから。

 

激しい雨はしばらくしたら静かになり、また9時ごろ激しく降った。

予約時間は13時30分。あんまり激しく降るようなら予約変更をお願いしようとも考えたけれど、できることなら変更はしたくない。そんなことを思いながら空を眺めていたら、10時ごろにはピタッと止んだ。

 

その日は10時20分から11時20分までは訪問リハビリだ。

リハビリが終わったら、お天気の具合で病院に行く時間を決めようと、早めに昼食を済ませ、歯磨きとトイレも済ませた。

空を見ると、黒い雲に覆われてはいたけれど、雨は降っていなかった。それで早めに家を出発した。

 

病院の駐車場に着くと、パラパラと降り始めた。車の乗り降りには影響のない程度の雨だったし、もう病院に着いたと思ったら安心した。

 

受診を終え、帰宅するときにも同じ程度の雨が降っていた。病院の玄関前には屋根が張出したところがある。そこに車を移動させ、夫を乗せた。

家の車庫には屋根も囲いもある。ただ、車庫から玄関までのアプローチは長い。だけど、傘も車いす用の合羽もある。それに、家に着きさえすれば濡れたって着替えればいいだけのこと。そう思いながら帰宅し、車庫に着くと、激しく雨が降り始めた。あと数分遅く降り出してくれればいいものを・・・

 

「車庫でしばらく様子を見よう」と夫に言ってみた。しかし、夫はイヤだと首を横に振る。この暑いのに合羽を着たくはない。仕方がないので夫には傘を持たせ、私は濡れて玄関まで急いだ。

こうして金曜日の歯科受診は無事に終わった。

気持ちはかなり疲れたけれど、夫の歯科受診がとりあえず終わりホッとした。

次は10月の脳外科受診だ。今から、今朝のように晴れて、爽やかな日であることを願っている。

 

今日は草取りをした

子どもたちが帰省する前に草取りをしたはずなのに、あっという間に庭は草だらけになってしまった。

一番気になるのがコニシキソウ。そして、カタバミにカヤツリグサ。隅っこの方にはジシバリが蔓延り、草花の間からは猫じゃらしやヒメムカシヨモギやメヒシバだかオヒシバだかがにょきにょきと顔を出している。

子どもたちがいる間はそれどころではなかったのだけれど、帰ってしまうと庭の草が気になって仕方がなかった。

 

昨日、今日と夫はデイケアの日だ。

昨日は1日雨だったけれど、それでも雨間を見つけては草取りをし、今日は午前中に1時間半ぐらいは草取りをした。それでも取り切れる量ではないけれど、窓から庭を眺めても気になって仕方がないとか、イライラするほどではなくなった。

 

昨日から咲き始めた真っ白なむくげ。

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草取りに疲れても、こんな花を見ていたら疲れなんか吹っ飛んでしまいそう。

私は真っ白な花、こんなぴらぴらとした花びらの花、大好きなのです。

楽しい1日だった

夫が倒れてもう少ししたら9年目に入る。

それまで、二人とも電車に乗って旅をするのが好きだった。だけど、今は旅どころか、電車にさえ殆ど乗ることはなくなった。

車いす生活になった夫と二人で乗ったのは東京、横浜、静岡、名古屋へと行った4回だけ。私ひとりでは、のっぴきならない用事で出かけた浜松と名古屋への2回だけ。

 

出かけられないけれど、電車に乗って出かける計画だけはいつも練っている。どこまでだったら行けるだろうか、東海道線で東に行くならここまで、西ならここまでなら大丈夫だ、とか、飯田線なら・・・、天浜線掛川まで行き、帰りは新幹線で戻ってくるのはどうだろうか、それとも、ここの駅で降りて、こんな風に回ってみようか・・・等など。

 

今日は夫が倒れて初めて、迷いに迷い、悩みに悩んだけれど、自分だけの楽しみのために電車に乗って出かけることにした。

行先は名古屋。目的は旅ではないけれど、JR高島屋で開催中の「与勇輝展」

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与勇輝さんのことを知ったのは、30年以上も前のこと。徹子の部屋に出演されていた与さんの話を聞き、作られた人形を見て、月並みだけれど、すごい人だと思った。そして、実際に人形を見てみたいと思った。

 

今回、展覧会のことを知ったのは 21日のこと。息子たちが帰った日だ。翌日は疲れ果てていたし、片付けもしたかった。そうなると、最終日の今日しか行ける日はなかった。

 

夫がデイケアに出かけるのは8時40分か、50分ぐらい。それから車ででかけ、駅横の駐車場に車を止めれば9時57分のひかりには乗れるはず。(実際には楽々とその前の9時41分発のこだまに乗れた)名古屋には10時30分には到着する。

帰りは13時59分に乗れば豊橋には14時30分には到着する。最悪14時59分(豊橋15時30分着)までなら大丈夫だ。(実際には早々と12時59分発に乗り、13時30分には到着した)予定通りだとしても名古屋での滞在時間は3時間半はある。展覧会を見て、お昼を食べて、欲しいものはないけれど東急ハンズだってゆっくり見て回れる。

 

展覧会場に着くと長蛇の列にまず驚いた。最終日だし、すんなりと入れるものだと思っていただけに本当にびっくりした。そういえば、夫と東京の三越安野光雅さんの絵を観に行った時も並んでいたことを思い出した。だけど、今回はその時以上の人の列だった。

 

与さんの人形はチケットを見てもわかると思うけれど、本当にリアルだ。大きさは私の肘から指先ぐらいだろうか、いや、もっと小さいかもしれない。それらの人形にはまるで魂が宿っているかのような気がするし、今にも話したり動いたりしそうだ。そして、あっという間にそれぞれの人形の世界に引き込まれていく。「布の彫刻だ」とか「芸術作品だ」と言われているけれど、私もその通りだと思うし、本当にすごいの一言だった。語彙が乏しくて、そんな表現しかできないことが残念でならない。

 

図録を買うつもりでいたけれど、やっぱり写真ではつまらない。作品は脳裏に焼き付け、買うのは大型ハガキだけにした。

 

上のハガキのタイトルは村の古老の話し、下はおおぞら。

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女の子たち

上の左がありんこ、右はごめんください。下の左は小春、右は橋の袂。

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これだけでもしばらくは楽しめそうだ。

そして、今日の出費。

新幹線のタワーズパックというお得切符、2960円(高島屋1000円分の商品券付き。これは昼食代に充てた)、展覧会の入場料800円、駐車料金1230円、計4960円也+大型ハガキ6枚分。 

 電車にも乗れたし、与勇輝さんの人形も見ることができたし、今日は本当に楽しい1日だった。

夏のお役目が終了した

12日の夜遅くに帰省した次男は12日、13日、14日の夕方まで母屋で過ごし、14日は離れの2階に移動し、15日の夜、台風10号が東海地方に一番影響があった時間帯に帰って行った。そして、14日の夜遅くに帰省した長男家族は昨日の午前中に帰って行った。

私は、孫たちの成長を肌で感じ、楽しくもあり、うれしいこともたくさんあった長い長い10日間のお役目が終了した。

だけど、皆が帰ってしまうと何だか気が抜けたのか、疲れがどっと出たのか、昨日は移動させたモノたちを元の位置に戻すのが精いっぱいだった。

 

次男は本当に手がかからない。というか、手をかけさせてくれない。離れの2階に移動してもらうまでの間、コンビニに2、3回出かけただけで、どこにも出かけない。食べ物も、冷蔵庫の中のものを使って自分で作るし、残り物でいいと言う。冷や麦や素麺が大好きで、それだって自分で茹でるといい、片付けも自分でしてしまう。親としては作ってやりたいし、何でも食べさせてやりたいと思うのに、やってやれたのはほんの少しのことだけだった。普段、仕事以外は気ままな独身生活をしているのだから本人としてはその方が気楽なのだろう。まあ、のんびりと好きなように過ごしてもらえたのならそれでいいかと思うようにした。

 

それに反し、長男家族はみんなで甘えてくれる。と言うか甘え上手だ。私は夫のことの他、朝早くから朝食の準備に片付け。そして出かけている間には部屋の片づけと掃除をし、夕食と風呂の準備をして帰宅を待つ・・・という繰り返し。もちろん、全く手伝ってもくれないというわけではない。それに、子どもたちの生活ペースに合わせることなく、自分たちの生活ペースを守りながらやれることをするように徹したし、私自身がやれるうちはやってやりたいという思いからなので文句や愚痴ではない。皆して感謝の言葉は忘れないのだから喜んで私自身が何でもやってしまうというわけだ。「お嫁さんが幸せならば息子も幸せ。二人が幸せならば孫たちも幸せ」と思いながら。

 

昨日はクタクタだったけれど、一晩寝たらすっかり元気になり、元どおりの生活に戻った。

長男家族は例年だったら16日か17日に帰省ラッシュを避けるよう早朝に帰るのだけれど、今年は21日だったのでラッシュに引っかかる心配はないと昼ごろゆっくり帰った。それで、自分たちが使った敷パットやバスタオル、枕カバーは洗濯を済ませ、干してから帰ってくれた。それだけのことでずいぶん楽ちんな気がしている。

今日は敷布団や肌掛布団を干した。あとはタオルケットを洗濯し、掃除機をかけ、拭き掃除ぐらいをすれば完了だ。それだけならばゆっくりやればいい。

今日は夫はデイケアに出かけたし、私はこのぐらいにしてのんびり過ごそうと思う。

子どもたちの帰省

今週は今まで以上に自由が利かず、忙しくなりそうだ。

お盆の始まりは先ずはお墓参りだ。昨日は婚家と実家のお墓参りに行ってきた。そして、夜遅くに帰省する次男のために離れの2階の大掃除。実際にはまだ掃除が行き届いていない母屋で寝たのだけれど。

次男には手がかからない。だけど、帰省した時には自由人だ。私がいつものんびり過ごす和室を占拠し、寝ている間もテレビは点けっぱなしで、起きたいときに起き、お腹がすけばあるものを使い、食べたいものを自分で作って食べる。台所の片付けも然り。作ってあげると言っても「いいよ、いいよ、自分でするから」と言う。こちらは栄養を考え、色々食べさせてあげたいのに。もちろん、私が作ったものもあれば食べるし、やってあげれば「ありがとうね」と言ってくれる。話もいっぱいする。ただ、私としては飲みすぎるのが心配だ。本人はのんびり、ゆっくりしたいのだと言うから私も自由にさせているけれど、本当は掃除もしたいし、普通の時間で生活させたい。普通の時間てなんだなんだけれど。まあ、いつも帰省した時ぐらい好きにしていればいいっかと思うようにしている。

 

14日は遅くに長男家族が帰省予定だ。もう布団は干して準備してあるけれど、掃除はまだ半分程度。14日にもう一度丁寧に掃除をし、お風呂の準備だけして待つことにしている。で、私の勝負は15日朝からだ。その日から楽しい戦いが始まる。

長男たちは朝ご飯を食べるとあちこち動き回る。お盆の帰省はお墓参りも含め、ママの実家にも顔を出し、あとは子どもたちが喜びそうなところに出かけ、夕食時に戻ってくる。で、私は長男家族の家政婦さんとなる。これはこれで楽しくもあり、うれしいことでもある。

 

次男は15日には帰るという。長男家族には聞いていないけれど、たぶん17日か18日だと思う。なので、長男家族と次男が一緒に過ごせる時は1日だけだ。先のことを考えると、独身の次男には孫たちともたくさんの時間を共有し、触れ合って欲しいと願っているのだけれど、そんなことを考えるのは親だけなのかもしれない。

まあ、どちらにしても、お盆の休暇の時ぐらい、二人とも好きなように過ごしてくれればそれでいいか。子どもたちが幸せなのが親は一番うれしいのだから・・・

これからも自宅介護を続けるつもり

夫は脳出血後の後遺症のため身体障害1級、7月までの介護度は要介護4だった。

障害者手帳の方は申請時の診断書に障害が固定されていると記載されていたため死ぬまで再申請の必要はない。だけど、介護度の方は一定期間が過ぎると見直しがされる。夫の場合、その介護度は7月末までだった。

 

6月、主治医に意見書を書いていただくように依頼し、7月に認定調査があり、本来ならば7月末までに判定が出るはずだった。だけど、それがかなり遅れ、やっと月曜日に前回と同じ要介護4という結果が届いた。おそらく介護度は変わらないだろうと思ってはいたけれど、判定結果が届くまでは少々心配だった。

 

夫の場合、寝たきり状態ではないので要介護4から5に変わることはまずない。私としては要介護4というのが妥当な評価だと思っているけれど、3になる可能性は0ではない。介護度は低い方が状態がいいということなので、いいに決まっている。だけど、 もしも要介護3に変わったとしたら我家としては経済的にちょっと痛手になる。

 

要介護4と3とではサービスを利用できる金額が大きく違う。だけど、介護度が高い方がサービスの利用料金は高い。

夫は現在、要介護3の金額以下のサービスしか利用していない。だったらサービス料の安い要介護3と判定された方がいいように思える。だけど、4の場合には介護度の高い者を自宅で介護しているということで家族支援が受けられるのだ。だから、複雑な気持ちではあるけれど、総合的に考えると4という評価の方がありがたい。そして、今までは2年で更新だったのが今回は3年に延び、なおのこと有難かった。

 

・ありがとう  ごめんなさいと介護する もしかしてこれ黄金の日々

   2019.7.7 朝日歌壇に掲載された東京都女性の投稿歌

・どうせなら楽しく介護しようかな 籠の鳥子と改名をして

   2019.8.4 同じく朝日歌壇に掲載された東京都の上記の歌と同じ女性の投稿歌

 

この方がおいくつぐらいなのか、どなたの介護をされているのかは分からないけれど、投稿歌が掲載されるたびに頑張っていらっしゃるすがたが目に浮かび、励まされたり、反省したりしながらいつも共感している。そして、私も要介護4の夫を今も、これからも、福祉用具をレンタルし、デイケアと訪問リハビリを利用しながら、できる限り自宅で介護しようと思っている。

今は黄金の日々かもしれないと思いながら、どうせなら楽しく・・・

昨日、今日は盆踊り

昨日、今日と町内会主催の盆踊りが行われている。

6時30分ごろから始まり、音楽と太鼓の音が響いてくる。窓から眺めると浴衣姿の子どもたちもいる。

私は組長だった年には仕方なく参加したことがあるけれど、そうでなければ家のすぐ前で行われていても見に行くこともない。だけど、楽しみにしている方もたくさんいるのだろう。

 

この間の日曜日の朝早く、やぐらを組み、テントを設営し、しばらく音楽をかけて踊りの練習をしていた。練習が終わるとやぐらにブルーシートを被せ、テントは屋根だけを残した形でおろし、準備してあった。

今日は9時まで行われ、また明日の朝早くからやぐらやテントを片付けるのだろう。毎年のことだけれど、この暑い中ご苦労なことだと思う。そして、こうした方たちのおかげで事が運ばれるのだと思うとありがたいことだとも思う。

 

何時もだったら静かすぎるぐらいの我が家だけれど、今日は9時過ぎまで賑やかな音で包まれる。本当は、私としては、静かな方が好きなのだけれど・・・

でも、まあ、何かに夢中になったり、楽しめるということはすばらしいことなのだから、盆踊りを存分に楽しんでほしいとも思う。