えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

節分の思い出

今週のお題「節分」

今日は節分。

最近の家庭では節分ってどうしているのでしょうね。

えむこの看護学校時代の友人Mちゃんはお母さんのために恵方巻きを作るとか。

我家は車いす生活になってしまった夫と2人暮らしなので、もちろん豆まきなんてことはしないし、恵方巻きも作りません。

それでも子どもたちが小学生だった頃には、豆まきをしたような気がするけれど・・・

それも記憶が曖昧で、したのか? しなかったのか? 多分したように思うけど、どうだったのでしょうか。

恵方巻きは起源は古いかもしれないけれど「節分には恵方巻き」と、こんなに言われるようになったのはまだ最近のことだと思います。だから、えむこには「節分には恵方巻き」という習慣はないのです。

とはいえ、お寿司は大好きなので「恵方巻きぐらい・・・」と思わないでもないけれど、恵方を向いて、願い事を思いながら巻きずしを食べても「願い事が叶うわけない」なんて、思ってしまうのです。ただイベントとして楽しめばいいのにね・・・

 

だけど節分というと、えむこはいつも自分自身が子どもだった頃のことを思い出すのです。えむこが小学生の頃は丁度、昭和30年代初め。正に「三丁目の夕日」の時代です。

その頃はどこの家でも節分には豆まきをしていました。親同士が時間を決めていたのかどうか分からないけど、子どもたちはビニール袋を持って各家庭を回ったのです。

我家の場合、父が縁側で「鬼はそと~。福はうち~」と言って、豆を撒いてから、子どもたちに向けてお菓子やみかんなどを撒いていました。豆は大豆ではなく、その当時は殻つきの落花生だったように思います。

多分、他の家でもだいたい同じだったような・・・

子どもたちは近所の家を3~4軒ぐらい回って、お菓子は大きなビニール袋いっぱいになりました。えむこはビニール袋を抱えて、その中のお菓子を好きなだけ食べるのが楽しみでしたね。

でも、その時はすご~く嬉しかったけど、節分の後は何日もおやつは貰えないのですよ。まあ、当然かもしれませんけど・・・

 

遊びも少なかった時代、物も豊富ではなかった時代だったから、節分の豆まきはものすごく楽しくて、嬉しかった行事だったと思います。

もう、50数年も前の思い出なのですが・・・