私の寿命はあと何年ぐらいあるのか分からないけれど、もしも平均寿命まで生きることができたとしても、いつまで今のような生活ができるだろうかと考えることがある。
昨日の新聞に厚生労働省研究班がまとめた「健康寿命」の20大都市別データーが載っていた。
健康寿命は、生活に支障なく過ごせる時期の平均を示しているとかで、全国平均が男性70.42歳、女性が73.62歳だそうだ。これを見ると、私はもう10年を切っている。
ま、生きているかもわからないし、あくまで平均なのだけれど。
いずれ、誰にも訪れることとはいえ、私の健康寿命が10年も残っていないと思うと、何だか気持ちが沈んでしまうのだ。
夫が倒れる前「私が退職したら、彼方此方旅行に行こう」と話していた。もちろん、義母を送ってからではあるけれど。そして、旅行だけでなく「老後にはこんなことをしたい、あんなことも・・・」と、いつも会話が弾んでいた。
行きたいところはたくさんあったし、やってみたいことも山ほどあった。
だけど、夫が不自由な体になったことで、それらができなくなってしまっただけではなく、日々の外出さえも思うようにできないでいる。
東京へも行ったし、横浜にも行ったけれど、それはよっぽど自分の気持ちを盛り上げてのことなのだ。
このところ、夫は認知面での回復に兆しが見えはじめた。手足や言語の回復は思うようには進んでいないけれど。
認知面の回復には、人と会ったり、出かけたり、美しいものを見て感動したり・・・と、脳を刺激することが大事だと思っている。
だけど、思うように動けないこともあって、私はこのところ「外出しよう」という気持ちが萎えていた。
週に2回デイケアに出かけているとはいえ、あとの時間は一人介護。
誰もいないのだから、全てのことを自分一人でするしかないのだ。だから、ちょっとお疲れモードなのかもしれない。
近場の散歩ならば疲れも違うからまだ頑張れる。だけど、日帰りにしても1日がかりの外出となると、どうしても気持ちが萎えてしまうのだ。泊まりの旅行は尚更のこと。
だけど・・・
今日の夕方、夫の弟が京都に行ってきたからと、土産を持って来てくれた。
「京都か、いいな・・・」と思ったら、何度も訪れたことがある地であっても、何だか自由に動き回れる弟たちが羨ましくなってしまった。今までは人を羨む方ではないと思っていたけれど。
行きたい、行きたい、行きたい・・・
でも、大変だろうな・・・
私の健康寿命はあと10年もない。だから、旅行に行きたいのならば、今のうちに頑張るしかないのだ。
「ほんとうに行きたいのならば、自分が頑張るしかないじゃないの・・・」と、どこかからそんな声が聞こえてくる。誰も連れて行ってくれるわけではないのだからと・・・