えむこの雑記帳 ~ときどきひとり言~

これは、脳出血後たくさんの後遺症が残ってしまった夫とえむこの何気ない日常生活を書き留めたものです。

電車に乗って名古屋まで行ってきた

月曜日、提出期限がある書類を出すため名古屋まで出かけた。

そのことを知ったのは今月の20日のこと。期限までは3か月あるし、郵送でも大丈夫なのだけれど、すぐにやらないと期限などあっという間に来てしまう。それに、新しい年まで持ち越したくない内容だったので、どうしても年内に片付けてしまいたかったのだ。

で、翌21日に提出書類をダウンロードし、戸籍謄本など必要書類を豊橋市役所へもらいに行き、あとは名古屋の区役所で謄本をもらい、その足で丸の内にある官公庁に提出すればいいように準備しておいた。

 

夫が倒れてから大好きだった電車に一人で乗る機会はなくなった。実際には兄に頼まれた用事で1回だけ浜松まで行ったことがあるけれど。

頭の中では何度も何度も電車に乗った。東は掛川まで、西は名古屋までと。だけど、何らかの事情で電車が止まった時のことを考えると現実には心配で乗られないでいる。

だから、名古屋までなら用足しにかかる時間を考えても十分に行けるだろうと思っていた。うまくいけば2時間近くは名古屋の街を楽しむこともできそうだと。

 

豊橋、名古屋間は新幹線の往復切符を利用。たまたま今、プラス80円の料金で「タワーズパック」という高島屋の商品券1000円分が組み合わされた期間限定の往復切符を発売中なのでそれを利用して出かけることにした。

 

夫をデイケアに送り出し、車で豊橋駅まで行き、駅横の駐車場に車を止めた。そして、9時45分発のこだまに乗車。次の9時58分のひかりでも到着時間は2分しか違わないのだけれど、1分でも早く着きたかったのでこだまに乗ることにした。

 

10時15分、名古屋着。名古屋駅のホームにはホームドアが設置されていて時の流れを感じた。もう10年近く名古屋駅に降り立っていないのだから当然のことなんだろう。

 

駅から周りの景色を見るゆとりもなく、急ぎ足で地下鉄東山線乗り場へ。迷うことなく、すんなりと区役所には着けたのだけれど、ここでも、降車駅の栄でもホームドアが設置されていて、またも時代の流れを感じた。

 

区役所で必要な書類をもらい、今度は地下鉄名城線で市役所まで。そこから10分ほど歩き、書類を提出先のビルへ。その時すでに11時30分過ぎ。

 

受付を済ませ、書類を提出すると、何ともう1通、新城市でしかもらえない書類が必要なことが分かりびっくり。と同時にその日にうちに準備できるだろうかと焦った。とりあえずは受付はしてもらえたので期日の心配はなくなったけれど。あとは不足分の書類を郵送するだけだ。

 

時間を見ると12時前。すぐに戻ればその日のうちに新城市役所まで行き、書類をもらい、郵送できそうだった。なので名古屋での街歩きはやめ、とんぼ返りすることにした。と言っても、高島屋の商品券を無駄にするわけにはいかず、地下の食料品売り場に直行。夕食のおかずにと串揚げを、新幹線の中で昼食にしようといなりずしを買い、乗り場に急いだ。

 

帰りの新幹線は14時29分のこだまに乗る予定だった。それが無理なら14時59分のこだま。最悪15時29分のこだままでなら何とか夫の帰宅までには間に合うと思っていた。でも、結局は12時59分のこだまに乗った。

 

豊橋に着いたのは13時30分。急いで駐車場に向かい、そこから新城市役所に向かった。

新城市役所までは約1時間。書類をもらい、帰路途中の郵便局からその書類を郵送し、これで手続きは完了した。あとは書類を受理したという証明書が送られてくるのを待つだけになった。そして無事に夫の帰宅時間に間に合った。

 

と、まあこんな1日だったのだけれど・・・

地下鉄のきっぷを買おうとした時のこと。ICカードへチャージする機械はあれど、券売機がない(見つけられなかっただけ)。窓口に行くと、休憩中だから用事がある人はインターホンを押すように書いてあった。仕方なくインターホンを押し、事情を話すと、券売機は奥の方にあるという返事。きょろきょろ探してみても見当たらず、どうしようかと思っていると駅員さんが出てきて教えてくれた。探しても見つからないはずだ。私にはICカードチャージ機としか見えていなかった4台のうち後方の2台が券売機を兼ねていたのだ。

 

私がまだ20代の初めのころ、切符は窓口で購入するもので券売機などなかった。そして、ホームに入るときは駅員さんが切符に鋏を入れていた。そんな時代だった。それが知らぬ間に券売機はどんどん増え、しかも進化していった。

そんな時代から「切符は券売機で買うもの」になると、券売機の前で戸惑っているお年寄りをよく見かけるようになった。当時、まだ若かった私は「何が分からないのだろう」と思ったものだけれど、まさに今の私の姿そのものだったのだと思う。

殆ど電車で出かけることがない私はICカードなるものを使ったことも、持ったこともない。ICカードをかざし、ピッ、ピッと音をたて、颯爽とホームに入っていく若者がとてもかっこよく見えた。同時に自分が社会から取り残されてしまったようで、何だか寂しくもあった。